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【No.13 平成15年8月】

マダガスカル活動報告 2003年6月19日―8月23日

日本アイアイ・ファンド代表 島 泰三

■その1 NAF理事への報告(7月6日)から

6月19日早朝、アンタナナリヴ着。
MAFの会計担当のディダとプレト教授が出迎え。

6月23日(月曜日)MAF会議。
ここで保護区設置完了までの第三段階と第四段階の予算と予定が検討され、合意されました。
第三段階は、公式管理委託書授与式とその会議です。これは大臣と地元国会議員とMAFの代表の名前で召集されるもので、地元の県都アンツヒヒと現地アンジアマンギラーナで二日にわたっておこなわれる大がかりなものです。
第四段階は、管理報告書作成です。管理移管宣言(2月27日)から半年以内に提出せよという期限があります。これは報告書の内容からするとそうとうに過重な期限なのです。そのデータは、保護区地域の生物相の詳細、樹木のサイズとその量、土壌分析、保護区内の利用実態などで、いずれもそうとうな調査委託が必要です。

6月27日に環境・治水森林省大臣と面会し、公式管理委託書授与式の承諾をえました。
ちなみに、マダガスカルでも大臣と会うのは非常に大変なことで、プレト教授の人脈の成果です。
この日、MAFメンバー全員が集まり、昼食をわが家でとりました。ディダは全体の調整、ブルノーは調査団のお目付、ロランは7月9日、10日会議の準備という役割分担をすることにして、合同調査団といっしょに出発となりました。

7月1日委託調査グループ代表との会議。
翌7月2日合同調査団15名出発。同日、アンタナナリヴ在住の原田幸恵さんにMAFの会計監査を依頼。快諾されました。


■その2 NAF理事への報告(7月17日)から

7月9日のアンツヒヒでの公式会議。
10日のアンジアマンギラーナでの地域会議は、それぞれ35人、70人が集まって盛大に行われ、とくに10日には昼食会を村全体でやったので、どうみても300人が食事に参加したとMAFでは見積もっています。その夜、翌日午前4時半まで踊りがあったのですが、これは少なくとも600人が参加したと言います(一説では千人)。

・いろいろな人々の助けがあって
マジュンガ州事務次官アルセーヌRANDRIANSOLO Roger Arseneさんが政府代表としてMAFに管理委託書を手渡してくれました。この事務次官は会ったときから、いい人だと思ったのですが、向こうもこちらが気に入ったと見えて、二日目のアンジアマンギラーナの会議が終わったときには、私に二回も抱きついて、「マダガスカルには、三本の足は丈夫だという諺があるが、今私たちは三本の足を持ったも同じだ。このプロジェクトはうまく行く」とうれしそうでした。
この二つの会議を取り仕切ってくれたのは、アンツイヒのマミ・レストランのジョゼとその奥さんのマミさんで、彼らをMAFのアンツイヒ地域顧問として頼んだのは昨年のことですが、よかったなあ、と。
今回はいろいろな人に会いましたが、知り合えてうれしかったひとりは、アンケリカ村の村長夫人です。7月11日から私は現地で委託調査グループと合流するために、保護区北端の村アンケリカから保護区最大の川アンドロイベ川流域を目指しましたが、この時の村長夫人の対応は水際立ったものでした。昼食の用意、私たちの休息場所の設定、ガイドの手配と、村長その人よりも頼りになりました。

・いろいろな問題もありました
ジルベール(MAF事務局長)が委託調査の内容を、確実には把握していなかったこと、委託調査グループは「パリサンダー(紫檀の類)があるから、これを伐採して保護区管理費用を出せばいい」と平気で言うタイプの人々だったこと、保護区隣接集落には保護区内にそれぞれ20ヘクタールの土地を利用する権利があること(全部で10の集落が保護区隣接ですから、200ヘクタールが削られることになります)、保護区境界標識の設置義務と境界を明らかにするための防火帯用の草刈が管理団体の義務だったこと、ひとつの集落が雨季に牛を放牧するための囲いを保護区内に作っていたこと、などなど。これらのひとつひとつを現地の人間とつきつめて、森林の保護が優先するのだと、やりあわなくてはならなかったのです。私の喉が嗄れてもなお喋り(どなり?)続けなくてはならなかった理由の一端がご理解いただけるでしょうか?


■その3 8月の活動

8月1日(金曜日)チンバザザ動植物公園のMAF事務所に吉原大使を招いて、MAFの保護区開設のための現地公式委託受領式などの報告会。原田さんも参加。

・アルベール会長
8月2日、調査中のメンバーを除くMAF全員で、MAF会長のアルベール宅へ見舞いに行きました。彼は、MAF設立の1年後に脳卒中で倒れて以来回復していません。彼が元気なら、MAFの活動はどれほど楽だったか、と妻と話すことしきり。

・会計問題
8月12日、MAF会議(島自宅)。全員が参加し、委託調査グループへの支払いの件、内規の訂正、会計監査(マダガスカル人一名、日本人一名)などが決まりました。
 私は名誉会長として、MAFの全体会議開催と会計監査(日本側一名)の指名ができることになりました(内規は作成中)。

8月20日、調査委託グループとMAF会議(プレト教授宅)
委託調査グループは報告概要を22日までに、第一次草稿を9月15日までに、最終報告は9月30日までに提出すること、この日程では大丈夫とのこと。
MAFで議論。保護区境界の防火帯設置費用を今年度分10キロとして見積もった。
この会議のあと、ジルベールたちと国際協力事業団事務所へ行き、海外青年協力隊所長の渡辺さんから78万fmg(1万8千円)の寄付を頂きました。MAFへは、これで三回目のアンタナナリヴ日本人会からの寄付。

8月21日、大統領顧問エドワルさんRAZAFTMANTENA Edouard 宅に伺う。
奥さんの仁美さんはNAFアンタナナリヴで、「肩書きはバトミントン選手にして」とのこと。
エドワルさんは大統領顧問のほか、郵政省官房局長、国際大学学長などを兼任し、アンタナナリブ大学でも教鞭をとっているとのこと。マダガスカル大統領はこの十月に来日するのですが、彼も日本に随行するとのこと。知人がこれほどの高い地位になっているとは。

8月22日、ディダと会計処理。

8月23日夜、アンタナナリヴ出発。8月25日朝、パリ経由で成田着。
シャルルドゴール空港からパリ・アイアイ・ファンド代表相原さんに連絡し、10−11月のNAF視察の際のパリでの手配一切をお願いした。
そうそう、妻は二ヶ月間、各ホテル、各種旅行代理店、航空会社を回り、18日間の視察計画の詳細を作り上げました。その最後の仕事がパリでもあったということです。

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