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【No.16 平成17年6月】

ちょっと情けないマダガスカル報告 2005年3月―5月

日本アイアイ・ファンド代表 島 泰三

 今回ばかりは、報告をためらっていた。滞在期間が長いわりに実質的な成果がなかったから。今回は完璧に個人の金でマダガスカルに行ったものだから、金銭上の制約が重かった。そのうえ、予想とはずれたことが続いた。そして、そうとう重大なトラブルがあった。だから、威勢のいい報告をしたくてもできない、という情けなさがある。
 しかし、まあ、これが現実ということで、ご了解いただける方には了解していただこうと、ホームページ管理人のユキ姫にしばかれながら、しぶしぶ報告する次第。
 注:「しばく」は叩くの山陰地方?方言、「青竹で、しばきあげるぞな」という言い方がある。この場合「あげる」はやりぬく、「ぞな」は強めの語尾で、全体の意味は「すぐに折れるようなただの竹ではなく、まだ生きている緑の竹で、叩きに叩いて、性根を直してやるぞ!」ということである。私の少年の頃、一軒隣のおばさんが、言うことを聞かない息子を怒鳴って言っていた言葉であり、決して私に言われた言葉ではない。こういうどうでもいいことをだらだら書くということ自体、今回の報告にどれほど気が進まないか…。

ディアデマシファカ
ディアデマシファカ
 ともかく、ご報告。
 昨年12月、とあるテレビ局から、アイアイ・ファンド保護区の映像を全国ネットで流したいという申し入れがあった。撮影は3月だという。ちょうど雨期だから道路を行くのは難しいが、テレビともなれば予算がある。飛行機で行って帰るならできなくない。航空便の購入を手配をした。2月になって、このテレビ撮影は中止になった。しかし、私たちは行こうと決めた。
 第一に、昨年以来現地の保護区内に住んでいる者が焼畑を拡大している。これを中止させなくてはならない。火をつけられない雨期の間に説得して、乾季の火入れを中止させる、という計画だった。第二、現地の近くにアイアイ・ファンドメンバーがいる。彼は今後マダガスカルで生活する計画もあるようだ。彼は7月には日本に戻るから、現地で会っておきたい。第三、日本政府高官との会談がある。予算編成時期である。この機会を逃したくない。
 もうひとつあった。現地に行くと、日本との連絡が電話だけになるが、これはあまりに高価なので、ほとんど使えない。メールはいいけれど、わが家に固定電話がないために、ジャイカ事務所や友人宅で電話を使わせてもらうことになる。それはいいけれど、わが家は首都の郊外のあばら家だから、ジャイカ事務所や友人宅までは、一時間近くかかる。渋滞にひっかかると、どうにもならない。これも相当に大変である。そこで、固定電話をわが家に引こうという計画だった。
 マダガスカルである。私はよく知っているが、この電話を敷設する、メールができるようにする、これだけのことで一カ月は覚悟しなくてはならない。あらゆることが自前のわがアイアイ・ファンドである。電話やメール加入も当然自前で、それはいい。ただ、手間がかかる。
 行くことに決めると、ホームページ管理人の小林さんも友人とマダガスカルに来るという。これは、今回唯一の報告できる快挙となった。
 では、順を追って。

 その1 日本―バンコクーアンタナナリヴの飛行機便(マダガスカルエア)はおすすめ。
 バンコク経由のマダガスカル便は、たしかに楽になった。今なら、座席も空いていて、楽に横になれる。この便がなくならないように祈るのみである。これはよかった。しかし、マダガスカルについてからは誤算が続いた。

 その2 ジルベールの留学そのほかの誤算。
 第一の誤算は、チンバザザ動植物公園動物部長のジルベールがアメリカに行っていたことだった。なにしろ、連絡しない人々だから、こちらの連絡も悪いが、彼らも連絡しない。マダガスカルアイアイ・ファンドの活動はまったく停止である。いつ帰ってくるか分からないという。第二の誤算は、今年の雨期が長かったことだった。雨期は、おりこみずみで、その間に電話をわが家に入れようと思っていた。しかし、雨が四月末まで続くとは思わなかった。ふつうは三月までである。これでは、保護区にいけない(注)。
 それでも、保護区への公的資金などの話ができればいいと思った。マダガスカルに三十年という国連大使まで出てくるというたいへんなことになったが、政府高官との会談はまったく不調だった。第三の誤算である。
 マダガスカル在住のアイアイ・ファンドメンバーとの話し合いは、順調だった。これは成果だ。彼は奥さんとマダガスカルに住むことも含めて検討中であり、私には分からないプロジェクトをかかえて、アイアイ・ファンドの保護区支援ができる計画を練っていた。そのうち、ご紹介できると思われるが、これが実現すれば、胸を張って今次マダガスカル滞在の成果を言えるはずである。しかし、まだ「はず」の段階。
 そのうち、私は原稿書きに精を出し始めた。朝、庭を一回りするとカメレオンが走り回っている。ふつうカメレオンは走らない。「のの、ののの」と例のスローモーションで動くだけだ。走り回るのは、繁殖期に入ったからで、この観察にもだんだんとのめりこんだ。家は新興開発地域にあり、最初はただの荒地だった。しかし、まわりの家は金持ちでどんどん木を植え、大きくなるに従って、鳥もチョウチョウもトンボもやってくる数が増えた。そのいちばんいい例がカメレオンで、これまでは一週間に一度みれば「よかった」と言うくらいだった。それが毎日で、しかも二色か三色に分類できた。あらゆる爬虫類がきらいな奥様は、どういうわけか、カメレオンだけはむしろ好きである。自然、観察に熱が入る。
カメレオンの交尾
カメレオンの交尾
 原稿を書く。それに疲れると庭でカメレオンを観察する。理想的である。これは幸せだった。「原稿をメールで送れるようになれば、どこに住んでいても同じじゃ」と奥様に言ったところ「まさか、ここに住むつもりじゃないでしょうね」と切りかえされた。家庭生活に暗雲が兆す。
 (注)雨くらいで、保護区まで行けないとは?という疑問は当然あると思われる。もちろん、雨くらいでは車は溶けるわけではない。問題は道路である。もともと、フランス植民地時代にはアスファルト道路はあった。首都からアンジアマンギラーナまでは、国道4号と6号だけで行くことができる。いわば、メインルート沿いにアンジアマンギラーナはあり、保護区も国道から見える。国道4号は首都と西部海岸最大の町マジュンガを結ぶ大動脈であり、晴雨にかかわらず10時間で行ける。が、そこから派生した国道6号が問題である。これは西部の低地をまっすぐに北上して北端の最大の都市アンチラナーナ(ディエゴ・スワレス)まで行く。この低地はつねに沼の状態で、雨期には泥濘と化す。
 4月末、我が運転手のロランは「昨日、最初のタクシーブルースがディエゴから到着しました。しかし、まだトラックです」と報告した。どういう意味か?タクシーブルースとは「ブルース」音楽を流しながら行くタクシーではない(いつも同じことを言っているが)。ブルースはフランス語で「やぶ」である。あわてて辞書をひいてみると、「いばらの茂った土地、僻地」とある。アンタナナリヴ市内には「タクシーベ」が走っているのと対応する。この場合「ベ」はフランス語ではない。「大きい」というマダガスカル語である。ともあれ、地方への唯一の交通手段がタクシーブルースだが、ふつうはミニバスかハイエースクラスのボックスカーが使われる(地方では小型トラック)が、遠距離、悪路の場合はトラックが使われる。国道6号はマダガスカル最悪の道であり、雨期にはベンツのトラックが2台3台とコンボイを組んで走る。ぬかるみにはまり込んだトラックをお互いに引き出しながら、協力して悪路を乗り切るのである。こうして、アンタナナリヴ―ディゴ間は、「乾季なら3日、雨期なら一カ月か」という状態になる。このところ、うかつに読み過ごさないように。「一カ月か」の「か」が重要である。不定なのだ。
 つまり、今年はコンボイを組んだトラックはなんとか4月末にこの悪路を乗り切ったが、乗用車やボックスカーではまだ無理だったのである。むろん、当方にはランクルがある。最悪期では泥が深すぎて無理だが、すこし乾いてくれば行ける。だが、第四の誤算が待っていた。現地の様子が分からない。
 昨年、11月にはサルの、12月には鳥の現地調査があったはずである。その際、保護区内居住者の問題についても、対応するように予算が渡してあった。だが、その報告がない。ふたつの調査のふたりの責任者とも、ひとりは地方、ひとりはアメリカに行って不在。彼らが出したはずの報告を持っているはずのプレト女史(アンタナナリヴ大学教授)は病気であるという。

 その三 マダガスカルでメールはできるようになったが。
 マダガスカルではいいことは必ずどんでん返しがある。
 第五の誤算。一カ月におよぶねばり強い交渉と恫喝とソデの下の果てに、電話はついにわが家にきた。だが、メールを受け答えするために必要な外国との通信ができる電話にするためには、別の手続きが必要であるという。また、はじめからやり直し(細かい話は省略)。
 ついに、外国通信ができるようになった。だが、メールは別の話という。ワナドゥーに加入した。ついに、メールができた。翌日、電話そのものが通じない。あちこち走り回る。アンタナナリヴ全域の電話の故障だと。二週間後、電話が通じない。メールはもちろんである。また、全域の故障かとたかを括っていたら、わが家だけの故障と分かる。電話局と激論、怒号の果てに、わが家の受信機が故障で、取替えとなる。電話線の時代には、これに普通電線をつないで、団地中の電話が火を噴いたことがあるが、無線になったからいいかというと、どうもそうでもない。もともと、電気でなんでもできるという無理のある設備(つまり、人間が理解するには無理ということ)に無線というもっと訳のわからないものがついてくる。小人さんが電線の中を走ってくるという説明さえ、やや難しかったのだから、無線で空をたくさんの小人さんが飛んでいるのが、ひたすらわが家に向かって来るということになると、理解を超えてしまう。当然、どこが故障なのか、という電話局の仕事人の話は、本人も理解していないな、と分かるだけで、しかし、とにかく無線の受信機を取り替えると、なんとかなった、あとはまたあとで、という現実的な解決となる。何が現実的かはともかくとして。
 毎日、夕方は停電である。あまりに頻繁なので、管理事務所(わが家は一戸建ての団地のようなところだから)に聞くと、「市内の計画的停電と我が区画内だけの特殊な事情、使用電力に対して供給電力が不足しているという論理的結果によるもの」という。「電気さえくればいいんだ。誰も論理的結果など聞いているわけじゃねえ」と声を荒げたかったが、ぐっと我慢。「では、いったいいつになったら電気需要に見合った供給が確保されるとの見通しをお持ちですか」と聞く。担当はにやっと笑ったね。「神様はご存知でしょう」。
 えらい。「らすめんぷろしぇんぬ、来週」と言わなかっただけ褒めてやろう。このフランス語は「来週、直したい」というフランス語が本当は「来週、直したいが、どうなるか知るか」という意味であると同様、「来週という永遠の未来は、誰にも分かりません」という深遠な哲理さえ包含している(いかん、忙しいというのに、報告したくないものをやっているので、ひたすら饒舌になっている)。
 停電はいい。どうせ時間が限られている。ロウソク生活も慣れた。停電を予期していると、「ああ、停電だ、外に出て星空を見よう」と気持ちも楽になる。だが、予期せざる停電は、ストレスのもとである。しかし、ただ停電するだけではない。電圧低下と電圧上昇が交互にくる。かくて、冷凍庫が壊れた。
 「こんなものなくても生活はできるよね」「そうそう、冷蔵庫にも小さいけれど冷凍室はあるから、それにふさわしい生活をすればね」と夫婦楽しく話しあえていた間はよかった。冷蔵庫もおかしくなった。冷凍室から氷がだらだら溶けてくる。それだけではない。
 「昨日の落雷で、私のパソコンが煙を出した」と友人が言ってきた。「電源は切っていたけれど、電話線を伝ったらしい。電話線も切らなくちゃだめよ」
 電気はだれにも理解できない(と思われる)不思議なものだが、ここマダガスカル社会では理解できないものをコントロールする気持ちがない。電圧の安定は期しがたい。かくて、「パソコン、電話は使ったら、線からはずすこと」になり、なんのための電話かわけが分からなくなった。しかし、冷蔵庫は「使ったら電気を切る」というわけにはいかない。困っていると電気屋は「安く修理できます」という。持ってこいというからえっちらと運んで行った。一目見るなり、「これはダメだ」と平気で言う。「全部取替えだから、買ったほうが安い」と。だったら、今まで言ってきたことは何だ。誰だよ、こんな電気屋を紹介したのは、となる。
 穏やかなマダガスカルの家庭生活に暗雲がかかる。第六の誤算がくる。
 4月にはカメレオンは繁殖期に入って、庭には最大六匹のカメレオンが走り回っていた。5月1日の朝、地面を掘っているカメレオンがいた。産卵である。九時から始まった観察は午後五時にようやく終わる。感動的な掘り方、産卵と埋め戻しだった。昼ご飯も庭に坐ったまま食べた。この間、私は熱中するあまり奥様に不届きな言辞を弄したらしい。家庭生活に暗雲が垂れこめる。
 そこで、気分転換にアロチャ湖に行こうと提案する。これが第六、いや第七、おぼえていないが、とにかく誤算だった。いや、結果としてよかったか?人生は「あざなえる縄」「塞翁が馬」だから、どうなのか。
 とにかく、これは不運つづきの今次マダガスカル滞在を一気に明るくする旅行計画だった。アロチャ湖は琵琶湖よりも大きな湖で運転手ロランの故郷であり、雨期が明けたので、ここまで行くことができると太鼓判である。ここはまた米作の中心であり、私たち用のいい米を購入できるかもしれない。その湖の芦原にはジェントルキツネザルがいるし、そこの森にはマダガスカルで一番きれいと言われているカンムリシファカがいる。その両方を撮影して、計画中のDVDに入れようと欲を出した。
 結果は一勝一敗。ジェントルキツネザルは影だけだったが、カンムリシファカは撮影できた。米はだめ。一勝二敗か。問題は帰り道である。
 「エンジンの音がおかしい」「そうですね、私もそう思います」「いつからだ?」「さあ?」
 帰るなり修理屋を探し、ロランは延々たる議論の末に、「エンジンにオイルがまわっていません。オイルにプレッシャーがかかっていない状態です。オイルプポンプが悪いと思います」と結論を出した。それはエンジンの一部である。部品購入には巨額の金がかかった。
 アンタナナリヴ一番という修理屋は、三人組で三日間わが家に通い、エンジンを完全にばらばらにして、組み立てなおした。私は三分おきに監督に出た。原稿どころではない。
 エンジンというものがこれほどばらばらにされていいものか、というほどばらしただけではなく、ピストンの頭が出た状態でエンジンをかけるという離れ業もやっていた。  三日目の午後、「わっ」という声があがったから、驚いて仕事部屋の二階から車庫に駆けつけると、三人の修理屋とロランが手をとりあっている。
 「とうとうポンプが動きました。プレッシャーがあがりました。いや、よかったですねえ。私も一時はどうなることかと」と、ロラン。もっともビスが一個余った。どこのビスだ?
 私は労働というものの原点を、三人の修理屋とロランに見たね。労働は楽しいものだ。技術はうれしいものだ。時間制限なし、技術レベルは不問、収入保証、自分の技術が役に立つことの実感、これはうれしいだろう。日本の時間制限、技術レベルのチェックのうるささ、収入はそこそこ、技術が役立ったかどうかより次の仕事。それに比べれば、ここマダガスカルでは労働は楽しい。わが家のペンキ塗りなどは、鼻歌を歌っているからなあ。
 しかし、油がもれている。エンジンからだったらいやだぞ。ロランは再びみたび、延々たる議論の末に(これがそもそも変だよなあ、ふつうは「いろいろ点検して」じゃないのか?)、ハンドルのパワステのオイルが漏れていると言った。「それで、いろいろ議論した結果、パワステのプレッシャーの部品を取り替えなくてはならない、との結論に達した」、と。
 一週間後、「庭師と相談したんですけど」とロランは言った。「パワステのオイルを私が入れすぎたために、油が溢れている可能性があると」。車のことを庭師に相談する方もする方だが、その指摘の方が正しいってことがあるとは!
 まあ、その運転手や庭師以下の機械オンチがいることが、今次問題のそもそもの始まりであることは、まあ、認めざるを得ない。まあ、誰とは言わないが。
 えーと何の話だったっけ。

 その四、かくてマダガスカルの時は過ぎ。
 こうして、マダガスカルの時は過ぎ、小林さんとお友達が見え、この時ばかりは楽しく、オレンジなど絞り、グアバのシャーベット、バナナやパパイアなどと、マダガスカルにも天然の食べ物の楽しみがあることを知っていただこうと頑張った。彼女たちは豪気にもタクシーブルースに挑戦し、前を行くトラックの排気ガスにいぶされて帰ってきたので、慰めたものである。
 5月の半ばになって、ようやくジルベール部長が帰ってきてマダガスカルアイアイ・ファンドの会議を開いた。鳥の調査はできなかったが、ジルベール部長は去年12月にアイアイの赤ちゃんとその母親をアンジアマンギラーナで確認したという。この時、アイアイのオス2頭もみつけて捕獲したので、このオス2頭はチンバザザ動植物公園に持ってかえり、こうして現在チンバザザ動植物公園のアイアイは9頭になった。
 今年の保護区の管理計画を延々たる議論の末に承認したが、保護区内居住者の件はどうするか?
 「昨年12月に行って、その話をしましたが、現地の監視員と村長、それにジャンダルムと営林署のメンバーが行って、これ以上焼畑地域を増やしたら逮捕すると言ったということです」
 昨年は、マダガスカルアイアイ・ファンドのメンバーも金で片をつけるのが一番だと言っていたので、私は自分が乗り込んで、金で片をつけるというつもりだったが、よくよく考えてみれば、相手にも生活があることだ。現地の人々の常識の範囲で、じわじわと保護区を維持するというやり方が一番現実的であろう。ここで、外人が金を振りかざして行っても、事態を解決するとも思えない。
 六人の監視員と三つのコミューン(村)の責任者への給与と事業委託金を確保して、今年は最小限の事業計画でやろうということになった。日本での寄付の集まり方が年々減って、今年はついに年間事業費190万円の半額が集まるかどうか、という瀬戸際になった。これが現実である。これをわが家の会計から補填するのは、ただでさえ暗雲垂れこめるところへ、雷様をつれてくるようなものだ。しかも、アイアイ・ファンド代表の腹づもりと違って、本は書くこと、出すことに時間はかかるが、金にならない。印税の一部で保護区の維持など、遠い夢である。自分の生活そのものが、すでに危機である。
 マダガスカルアイアイ・ファンドのメンバーには「言いづらいけれど、善意だけを頼りの基金の現状はこういうものだ。日本政府からの支援も期しがたい。お互いつらい時期をなんとかがんばろう。それにしても、昨年の活動報告だけは、すぐに出せ」と、会議を締めくくった。

 こういうわけである。ホームページ管理人には長い間、新しい原稿を入れなくて申し訳なかったし、新しいホームページになって、張り切っているところへ、こういう話ではまったくしょうがない。しかし、この9月にはまたテレビが行くとかの連絡もある。また、ウソになる可能性もあるけれど。7月に帰ってくるアイアイ・ファンドメンバーのマダガスカル報告は期待できる。庄司さんのCD「組曲時の箱舟」と島の「時の箱舟あるいはマダガスカル」も、7月すえに公開のアニメ映画「マダガスカル」にあわせて発売できるかもしれない。あくまでも、そういう予定だけれど、こうしてまたしても将来に夢をつないで、今年中にマダガスカルへ、保護区へ行くということで、頑張りたいと思っています。コクレルコビトキツネザルが見つかったということでもあり、ぜひ確認したいと。
 カメレオンの交尾、産卵は圧巻です。この映像をアイアイ・ファンドのメンバーが編集してくれたので、30分でまとまったものを見ることができます。また、私がマダガスカルで撮影してきた映像50時間を整理してもらっていますが、10時間分はなんとか使えるのじゃないかという話です。誰にも撮影できない自然と野生動物がありますからね。こういうものが売れるなら(本はたいへんだ)、保護区の資金稼ぎ、ならびに生活苦の代表にも春はめぐってくるか、と。またしても、将来に夢を託しています。夢がある老年だね。

 マダガスカルでいちばん美しいと言われているカンムリシファカとカメレオンの交尾(産卵は地面から顔が出ているだけだから、映像でないと何ごとか分からないのでカット)の写真を提供します。お使いになりたい方は、ぜひ適正と思われる料金を添えて(アイアイ・ファンドへの寄付をお忘れなく)、日本アイアイ・ファンドあてお申し込みください。商売気もある老年でもあるか。

 7月15日金曜日午後六時から本郷三丁目「麦」にて、理事会、マダガスカル報告会を開きたいと思います。

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