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【No.32 平成24年2月】 「マダガスカル活動報告 2011年11月26日―12月10日」
日本アイアイ・ファンド代表 11月27日(日曜日)、車が動くかどうかなど、初日は実に忙しい。スアビナ事務所の庭はジャングルと化し、藪に潜むハチに刺されて指とこめかみはふくれあがった。 11月28日、銀行関係手続きのあと、チンバザザ動植物公園で原田さん(海外青年協力隊員)、ジルベール(maf代表)とアンジアマンギラーナ日程を決定。 11月29日、スワビナ事務所に警報装置設置。 11月30日、石原さんとジャイカ事務所長に会う。航空券、ホテルの手配など。 12月2日、大使公邸での天皇誕生日の祝宴。いろいろな人と会うことができたのはよかったが、すっかり体調を崩し、以来ずっと寝込む。 12月3日、停電は今朝午前2時から正午を過ぎる頃まで延々と続き、やはり、こういうインフラの頼りなさは流石に後進国である。ブルノーと連絡し、現地で合流を決めたあと、ジルベールから電話。彼はすでにアンジアマンギラーナにいた! 経費見積もりを出してくれと頼んだのに、まったく連絡がなかったから、行けないのだ、と思っていたが。 12月4日(日曜日)、石原さん、原田さん(大豊建設)、青年協力隊員と昼食会。咳で眠れず、アンジアマンギラーナに行くのは中止にしようかと思う。 12月5日、ヌシベ経由、アンチラナナ(ディエゴスワレス)へ。一睡もしていないまま車の手配など、アンジアマンギラーナ行きの準備。 12月6日、午前7時、ディエゴ発。午後3時、アンジアマンギラーナ着。ジルベールらの出迎えで、クラニの苗畑に行き、ラミーとアカシアの苗数百本を見た。そこはバナナとパパイア、そしてマンゴーなどの果樹も植えられた「熱帯ロハス」の実験場である。第10境界標識まで登り、500本のアカシア植林地を見た。アンジアマンギラーナ基地に戻って、基地とトイレの修繕見積もり。 夜になってキャンプの外に出てみると、南空の雲は盛大に爆発する稲妻に包まれ、暗闇の中でさえ手前の積乱雲を不気味な高さまで照らし出していた。いずれこちらに来ると思ってテントに入ったが、案の定、午後9時から雨になった。 「マダガスカルの乾期の驟雨だ、気合いを入れて降ってこい」と心につぶやいたが、それが悪かった。雨は強くなったというよりもテントのシートを突き破るほどの勢いとなり、雨と雷ですさまじい音になった。基地の建物内にいたジルベールが「だいじょうぶ?」とやってきて言うが、「大丈夫」と答える以外はない。どうせ、なるようにしかならない。ビデオカメラなどに耐水対策をして横になる。 ずっと具合が悪い。咳き込む。しかし、床を傷つけるとその場で浸水するから大変だと、そっと咳をする。長い雨だった。とても寝ていられない。そのうち、テントの床に触れるとぶよぶよした感触があった。「まさか」と思った。下は砂地である。雨は降ってもしみこむようにテント場は作ってある。しかし、雨がテントの下に回りこんだようで、テントの床が揺れている。一度雨はあがりかけたが、また降りはじめ、ついにテントは水に浮かんでしまった。もっとも、私が寝ているマットは地面についたままだから、そのままじっと横になっている。 12月7日、午前2時、ようやく雨があがった。「やれやれ」と一息つき、床がぶかぶかの状態でうとうとしたのだろう、気がつくと夜が明けていた。これから保護区内に行くかどうか、アンチララナの快適なホテルに戻った方がよかろうかと、しばらく考え込む。どうも考えが年寄りくさい(ほんとうに年寄りなんだが)。 午前6時半。陽は高くのぼり、テントは片付けて干した。ムフガシ(米パン)とご飯とコーヒーに粉ミルクを入れて朝食おわり。 午前8時。ようやくあれこれの計算が終わった。ベースキャンプまわりの柵の修理、基地の壁の補修、トイレの修理などすべてと植林をやる予算である。 保護区のキャンプ地(アナラランベ)を目指す。いつものとおり川が道路だ。しかし、途中の堰で車は止められ、あとは牛車に荷物を乗せて歩く。アイアイのラミーの採食あとを採集し、水浴びもし、洗濯もして、昨日以来の汗を少々落とした。が、昼食の鳥カレースープを平らげる暇もなく、豪雨である(12時25分)。さすがは雨季だ。 昼飯を中断するほどの雨は、午後1時すぎに一度あがったが、また降り出し、午後2時半にようやく出発。青空である。気温は30度を少し切っている。 アンジアマンギラーナ川源流の大崖アンダバカンジャまで行く。バオバブが2種類もあり、ラミーが焼け残って新しい葉を伸ばしている。ここは風景といい、河原の広さといい、植林適地だ。今後のラミー植林の第一候補地とした。あとからついてくるジルベールの足取りが重い。彼も年取った。 20時、夕食後の調査。コビトキツネザル、ネズミキツネザルを数頭みつけた。しかし、夜でもやはり暑い。歩くと汗をかいて咳き込む。止まると、また汗になる。そのまま眠ると寒い。なかなか熱帯も楽ではない。 12月8日、アナラランベの森からアンジアマンギラーナの基地に戻り、地主のクリスティアン村長と地代の交渉など、実に無数の雑事。 100本のラミーと60本のアカシアを基地周辺(タナンバザー)に、まず植えようとブルノーに指示。ブルノーとマルクの二人で木を植える穴を掘り始めたから「アホか!」と。「ただちに人夫10人を集めてやれ」と指示のしなおし。その作業の間に来年植林用のアカシアの種子を買いに行く。苗木屋はアンツイヒの近くとブルノーは言っていたが、アンジアマンギラーナから74キロ先にあり(近いって百キロ以内か?)、午前中はこれでつぶれた。午後、ラミーとアカシアの苗木を植え、村長も来たので手伝わせる。 午後3時、アンツイヒ出発。昼食抜き。十幾つもの雨雲を潜り抜けたが、夜になると、熱せられた道路の上にもやが立ち込め、ヘッドライトをあてると何も見えなくなる。助手席で目をこらすが、何も見えない。なぜ運転できるのか、分からない。午後10時半ディエゴに到着。この頃、咳が止まった。 12月10日、ディエゴからマジュンガ経由でアンタナナリヴへ。 12月14日、石原さんとアンタナナリヴ北部郊外のアンブヒジャヌ村へ。彼が肩車して育て、現在ではエクソンモビル・マダガスカル支社長のエリ・ラザオンソンの植林用地2町歩がそこにある。この敷地のまわり全体は外郭に溝が掘られて、木柵で囲われ、丘の頂上部分に直径50メートルほどの円形の土壁の一画が聖地として残されている。丘の北西に水田があり、川があり、その対岸に石切り場がある。すべてはマダガスカル高地特有のなだらかな風景であり、対岸の豪奢な三階建ての家も、逆三角形の大きなシャトドー(水の塔)もまばらなユーカリの林の中にある。 この一画だけは、もとからあったユーカリを切り倒し、根を抜いて水田側から順に養魚用の池、二つ、畑、果樹園、ラミーの植林地と配置されている。すべては3年前に始まったもので、二つの東屋があり、二階屋が建設中である。 ここに植えられた60本のラミーは、2010昨10月にアンジアマンギラーナに岩野園長と行ったおりに掘り出してきたもので、それが実に見事に新しい葉を開いていた。今年、スワビナ事務所の庭に発芽した150本を雨季の到来とともに植える計画になっている。石原さんは、ここで「マダガスカルで一番美しい村をつくる」とのこと。 午後、カールトンホテルで旅行代理人セルジュに会い、アイアイ・ファンド10周年記念ツアーを計画する。 かつて、ラミーの苗を渡した「レムールパーク」は、今ではマダガスカル航空の機内映像に紹介されるほどだ。あれも日仏の夫婦が作るということで、意気に感じて協力した。 しかし、今回はよほど違った。それは石原さんの「夢の大きさ」ではないか?自分の楽しみと「マダガスカルでいちばん美しい村をつくる」プロジェクトをつなげたその夢の大きさに、人は打たれるのではないか、と。 12月15日、チンバザザ動植物公園で北九州市到津の森公園園長に頼まれた通関用隔離施設を撮影。ラミーは確かに大きくなり、並木のようだった。 夕刻、とつぜん下痢。理由はまったく不明。よほど日本に帰りたくなかったとしか思えない。日本に帰り着くまで完全に断食。 12月16日、午後4時50分アンタナナリヴ発。翌17日午前8時、成田着。 日本に戻るなり、咳が始まる。わが事ながら、よほど日本にいたくないのだとしか思えない。 ■ブルノーさんによる2012年12月活動報告 06/12/11 島とともに苗畑とマナサムディ山植林地視察。 07/12/11 キャンプ地アナラランベへ移動。ラミー植林地視察。夜間観察でアイアイ確認。 08/12/11 アンツイヒ北アンタンバオで苗購入。苗用袋制作。ラミーの基地周辺での植林。 09/12/11 アカシア植林。苗用袋作成。ベースキャンプ修理。10/12/11 同上。 11/12/11 アカシア植林。ベースキャンプ修理。 12/12/11 ラミー植林。ベースキャンプ修理。 13/12/11 同上。14/12/11 アンツイヒで送金受け取り。森林局へ支払い。森林局へ苗用袋を請求。アンジアマンギラーナ苗畑の整備。 15/12/11 森林局責任者への面会。アンジアマンギラーナ苗畑整備、ベースキャンプ修理。 16/12/11 森林局責任者がアンジアマンギラーナ基地訪問。アンジアマンギラーナ苗畑整備、ベースキャンプ修理。 17/12/11 アンジアマンギラーナ苗畑整備、ベースキャンプ修理。 18/12/11 ベースキャンプ修理終了。アンツイヒへ移動。 作業協力者は、アンジアマンギラーナ婦人会と植林支援会COBA (Communaute de Base)であった。ラミーは島が指定したアンジアマンギラーナ川上流域のアナラランベとアンダバカンジャ間の河原とその周辺に2〜3メートル間隔で540本を、アカシアはマナサムディ山頂上付近に1ヘクタールあたり400〜500本の密度で870本をそれぞれ植林した。 ラミーの種子は830個、アカシアの種子は3280個をそれぞれ作成したビニール製苗用袋に植え、クラニ所有の苗畑に植えた。 ブルノーの簡潔にして要領を得た上記報告には、今後の方向として、自前の四輪駆動車とモトクロス用バイクが必要であること、他の村との協調と住民教育の重要性が述べられていた。日本アイアイ・ファンド代表としては、日本製車両に頼らず、牛車でできることは牛車でやるという現地化方針を貫くつもりである。 Copyright(C)2002-2024 Nihon Ayeaye Fund. All rights reserved. |