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【No.36 平成25年12月】

阿部雄介フォトグラファーによるマダガスカル報告と島泰三による帰国報告

2013年11月13日 阿部雄介フォトグラファーによるマダガスカル報告第一弾
3日前より島先生とマダガスカルに来ておりましたが、先ほど、第一の目的地である、世界遺産の森「マロジェジ国立公園」の山から下山しました。熱帯雨林の山の中を10km近く歩いて、2泊キャンプするという過酷な旅でしたが、真っ白なシファカ「シルキーシファカ」に会うという悲願達成の旅でした。
念願のシルキーシファカには会うことができ、島先生と2時間ぐらい追いかけました。
藪の中でしたけれど、結構近くまで行きました。

今朝山のキャンプで寝てたら夜中の2時に起こされて、「出発が早まったから、後30分で支度して下山しないと間に合わんぞ」と言われて慌てて山を降りて来ました。
なんでも今日の午後乗るマダガスカル航空が機材故障とかでB767が飛ばないから、小型のプロペラ機2機で運行するのだけど定刻の13:30と、3時間早い10:30の2便に乗客を分けるとか。
ケータイの電波も届かない場所なのに、人間で伝令ですよ。国立公園へツアー手配してくれたホテルの人が、フライト変更をドライバーに知らせ、ドライバーは麓の村に行き、村から伝令を一人送って、キャンプ場所まで手紙を持ってきてくれたんです。村からキャンプまで6kmあるのに。しかも真っ暗な夜道をですよ。
で、真っ暗の中荷物をパッキングしてポーターとガイドと一緒に山を降り、行きに4時間半かかったところを大急ぎで2時間半で下りました。で、村に行ったらクルマがいなくて、村人に聞いたら公園管理事務所に車がいると、そこからまた2キロぐらい歩いて。
ホテルに来てみたらみんな申し訳ないというのだけど、いやみなさんが悪いわけじゃないですからと言って色々してたら、マダガスカル航空から電話があって、「ボーイング直ったから定刻でいけます」と言われ。今こうしてメールチェックしてたところでした。やれやれ。しかし、明けゆく夜空を見ながら歩くのはなんだか楽しかったです。
まあでも冒険話としてはすごい面白いネタなんですけどね。でもガイドもいいやつだったし、いろんな動物撮れたし、楽しい旅でした。マンテラ(マダガスカルガエル)も撮れましたし、なんといっても両手いっぱいのネッタイタマヤスデ(エメラルドグリーン!!)は、僕にとってはまさに夢の世界でした。


2013年11月19日 阿部雄介フォトグラファーの現地報告第二弾
無事北部の町ディエゴ・スアレスに戻ってきました。1週間ぐらいぶりに温水とエアコンのある宿に戻ってきました。沢の水で顔をあらって、砂の上に寝て、焼けた野原を歩き、夜は真っ暗で動物や鳥の声で賑やかだった生活から一転して、とても不思議な感じです。今日が今回のマダガスカル滞在で一番ラグジュアリーな夜です。たぶん。
先生の関わっている保護区のあるアンジアマンギラーナ村まではディエゴから片道約500kmを1泊づつして行き、初日はアンジアマンギラーナ村の島先生の「調査基地」(と言っても車が4台入るぐらいの倉庫のような建物ですが、村の家などに比べるとコンクリートでトタン葺きでとても立派です)に泊まり、あと2日は村から四駆で川を5kmぐらい遡った保護区内の河原でキャンプしました。
キャンプ場所は川の合流点にあって、今は乾季なので広大な白砂地が広がり、大きなマンゴーの樹が数本、ちょうど食べごろの実を何百とつけていました。(このマンゴーがいかにありがたかったか・・どんなに疲れて帰ってきても、糖分と水分、ビタミンが無限に補給できるのです。)川の合流点の近くにはアイアイが主食とするラミー(クルミのような実をつける)の林があります。ラミーは高さ30mぐらいになる大きな木です。谷の上はゆるやかな丘になっているのですが、ここは何度も火を放たれて焼かれているので(最近は焼かれなくなったそうですが)灌木というかブッシュになっていて、大きな木は谷の川沿いにしかありません。
ところどころに水田や畑もあって、勝手に入植しているのかどうかよくわからないのですが、この川は奥の村に続く道になっているらしく、よく人が通ります。朝早くから夜まで天秤棒に荷物をかけて歩く人や、鉈やスコップをもっていたり、頭にバケツや籠を載せていたりして、我々を不思議そうに興味深げに見ていきますが、手を上げて挨拶すると向こうも手を上げて返してくれます。
まあ、この国では主な交通手段は「徒歩」ですからね。幹線道路でもみんな徒歩で荷物を持って、小学生は教科書とノートを持って炎天下を何キロも歩いています。朝は水を汲んで頭に乗せている人がよく歩いています。
気候はまあとにかく乾燥していて、空が絵の具で塗ったような青色をしています。日差しは熱いのですが日陰は涼しくて、濡れたタオルを巻いていると気化熱でかなり冷たくなります。キャンプでコカ・コーラにタオルを巻いておいたら結構冷たくなっててよかったです。普段日本ではコーラなんか飲まないのですが、熱くて毎日歩いてへろへろになってるので、甘い砂糖水は本当に疲れが取れるので、飲むと生き返った気がします。
村に行く途中に、一番近い街で食料を買い込みました。牛肉(常温で生でハエがブンブン来てるやつ)、活きた鳥とアヒル(肉だと傷みやすいので生きたまま運んで調理前に捌く)それから、お米、果物など(あとでマンゴーが嫌になるほど食べられることがわかって買ったことを後悔しましたが)を買い込んで、それらを入れる大きな籠(椰子の葉で編んだものですが、この手仕事がたったの50円ですよ)

キャンプでは日中動物探し。村人のティラさん(動物を非常によく見つけてくれる)をガイドに、村の若者をポーターに雇って歩きます。日中は日差しが焼けるように熱いので、ちょっと歩くとヘロヘロになります。村人はめちゃくちゃ早く歩くので、ついていくだけでかなりくたばりましたが保護区をまわって色々撮影してきました。
夜にはいよいよアイアイ探しです。キャンプから1km離れたラミーの木に巣があってそこにはいるとのことなので、行こうかという話になってました。しかし、昼間歩きまわったのでかなりへたばっていて、正直1km歩くのは辛いなあと思っていたのですが、なんと、キャンプの50mぐらい先の大きなラミーの樹の上にオレンジ色に光る眼(猫も犬もそうですが、夜にライトを当てると動物の目は光るので)を見つけた時には、「アイアイかな?」とおもったのですが、まさかそんな・・と思ってたら、アイアイでした。一気に眠気と疲労が吹っ飛びました。
ティラさんと先生とおいかけて、なんとか撮影に成功!その後もアイアイの子供に遭遇して、結果3匹のアイアイを確認、撮影出来ました!さすがアイアイの保護区。きちんとアイアイたちが命をつなげていられることが確認できてよかったです。
しかしながら、翌日も夜にアイアイ探しをしたのですが、1匹も確認できず。野生動物撮影はホントに巡りあわせというか、その時一度っきりだったりするものだなあと強く思いました。キャンプ生活は非常に楽しかったです。マンゴの樹にはいろんな動物が入れ替わり立ち代りやってきて、朝も夜も鳥や虫やサルたちの声で非常に賑やかでした。砂地も素敵でした。電力は持って行ったソーラーパネルで電池も充電できたし、いろいろおもしろい体験でした。
あ、あこがれのマダガスカルオオゴキブリも撮影出来ました(笑)。


12月1日、島 泰三による帰国報告
まず、アンジアマンギラーナのキャンプで、アイアイが私のテントの真上に出てきたことをご報告いたします。11月17日午前0時すぎでした。前日、16日の夕方からアンジアマンギラーナ川源流域の調査に出て、すぐにアイアイを発見。これを追いかけている間に、またアイアイを発見。こちらは一歳未満の子ども。
「それにしても、阿部ちゃんは幸運な人だね、キャンプに着いてすぐシファカを見て、夕食後にすぐまたアイアイだからね」と言って、満足して寝ついた直後でした。マルク(監視員頭)の「シェンセイ!」の声。あまりにも眠いためと疲れていたためにすぐには事態が呑みこめず、ただ覚めた耳にアイアイの「グフッグフッ!」の鋭い警戒音があたりにこだましている。これほどの声は、あとから記憶をたどっても、1988年にヌシマンガベで私たちを脅した大きなオス以来だった。
ここで今回、特注した1200ルーメンのライトが威力を発揮した。私たちのテント場は、アイアイ・ファンドの皆さんも知っているとおり、マンゴーの木が密生した川の合流点で、周囲の林から少しだけ低い木々でつながっている。そのために、アイアイはこの木立から逃げようとすれば、どうしても川を渡るか、茂みにいちど降りなくてはならない。ライトは強力をこえて強烈なものだったので、木々のてっぺんに逃げてもその姿をしっかりととらえ、アイアイは逃げ場に困り、とうとう低い茂みにドサッと落ちて、次の木に跳び移るという離れ業をやって、それから木を伝って川を渡って姿を消した。だから、この一部始終を追跡して撮影ができるという幸運をつかんだのです。
阿部ちゃんにも満足のできる写真が撮れて、しかも、これはこの夜三頭目のアイアイだということも分かり、アンジアマンギラーナ保護区にアイアイが生き抜いていることを確認できました。

第二の報告は、植林が少しだけ成果を見せ始めたということです。最南端標識であるNo.10周辺のアカシア植林地は無残にも火をつけられたのですが、なんとアカシアの先端の葉は緑で、この火つけから生き抜きました。クラニの苗畑では、アカシア1500本が芽吹き、12月に焼かれたところを中心に再度植林すると、監視員一同、はりきっていました。
さらに、私が気持ちを強くしたのは、アンジアマンギラーナ川流域に植えたラミーが数えただけでも100本以上、緑の葉を茂らせて、藪の中から伸び出していたことです。植えた1000本以上の苗はどうなったのか、と言いたいところですが、いちおうできることはやっているということでした。
基地も修理がすみ、トイレ・シャワー棟も完成していました。今回阿部さんが購入した太陽電池での電源装置も順調に稼働して、写真、パソコンの電源にも困ることがありませんでした。

第三のご報告は、マダガスカルの政治が正常化(5年間もやってこれたのですから、国際的にというだけのことですが)する一歩が踏み出されたことです。11月29日が国会議員と大統領選挙の初日で12月20日(21日?)に投票ということでした。その大げさな選挙活動を見てきました。大使にお会いして(11月25日)、いろいろお願いもしましたが、今後マダガスカルでの活動が少ししやすくなるだろうと思います。
コンサーベーション・インターナショナルの出したマダガスカルのレムールの図鑑が2010年に新しくなったものを購入してきましたが、年来のマダガスカル全土調査の夢がまた復活してきそうな気持にもなりました。

そして、最後に阿部フォトグラファーとの旅の報告。彼は24時間写真を撮っているのではないか、というほどによく動きました。しかし、最初の東海岸のキヌゲシファカの棲息するマルジェジ国立公園への道のりでは、私は自分の年齢と現地踏査がだんだん無理になっていることを自覚せずにはいられませんでした。それほど道は険しく、長く、遠かった!まだ見たことがないというだけの理由で、こんなシファカを見るという計画そのものを恨めしく思ったほどでした。彼はその折々に撮れた写真を見せてくれたのですが、どれも一級品で、彼に来てもらってほんとうによかったと思いました。アンジアマンギラーナ監視森林のさまざまな様子が村の様子を含めてこれから先、いろいろな場面で使うことができると思います。そこに、アイアイの写真、結局、乾燥森林帯では唯一のアイアイの写真(プロによる)が加わったわけです。

それにしても、今回の旅ほど、あらゆる場面で「つらい、つかれた、もうやめたい」と思ったことはありません。それでも終わってしまえば、「見残したものは数かぎりないなあ」と思うのです。阿部さんはアンタナナリブ近郊の夕焼けの写真を見事に撮っていましたが、あれをイシャルの岩場で撮ったらどんなものになるだろう?とか。まだまだ、マダガスカルは広い。
そして、最後にジルベール園長の話。「環境大臣という話があるけど、どう思います?」「前にも言ったけど、園長は誰でもチャンスはあるが、大臣はなかなかないぞ」「大臣になったら、政府顧問で呼びましょうね」とのこと。今月には博士号をとれるということで、クローディーヌも修士論文を準備しているので一度大学に戻るという。「日本で言ってくださいね。MAFメンバーでほんとうに活動しているのは、クローディーヌだけだと」とか。
それから、アンタナナリブ事務所の守り手、ララの息子マヌは16歳でアンタナナリブ大学工学部2年生とのこと。14歳でバカロレア(高卒認定試験)に通ったが、さすがに大学に入るには一年待てということで、こうなっていると。日本留学できないかと大使にお願いした。
チンバザザ動植物公園のラミーは一段と大きくなり、大木の風景を見せ始めています。

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