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【No.39 平成29年3月】 「日本アイアイ・ファンド(NAF)2016年度の活動報告」
日本アイアイ・ファンド代表 2015年の目標は植林活動を本格化することでしたが、2016年には調査活動も始まり、日本アイアイ・ファンドの活動はその節目を迎えました。 植林活動では公益社団法人国土緑化推進機構の「緑の募金公募事業」助成に応募し、昨年度3ヘクタール(実施は2016年2月)から5ヘクタールへ植林規模を拡大しました。 また、東大総合研究博物館の遠藤教授を代表とする「地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム」への提案「マダガスカルにおける異地球的生物多様性創出機構の解明とその多面的実用資源化」研究に協力して、マダガスカルにおける本格的な調査研究事業が始まることを期待しています。 2016年には、マダガスカルのバオバブ全種6種の花とシファカ全9種を見るという念願を達成しました。これはアイアイ・ファンドのコレクションです。 北端のディエゴバオバブはT字の樹形で有名ですが、その花はグランディディエバオバブとほとんど同じ白でした。また、最北のペリエシファカは全身真っ黒で、河ひとつ南のタターサルシファカが黄色一色なのと好対照です。かくて、個人的な心残りがなくなり、活動性の高い若者と多数の専門家を擁する東大の博物館がマダガスカルのさまざまな研究調査、そして保護活動を拡大することに協力するばかりです。 2016年の間に行ったこれら各種の活動の中で、現地ではブルノーさんとアジャさんとその家族が有力な協力者となり、日本側では濱口さんと守亜さんがアイアイ・ファンドに活力を与えました。 また、チェーンソーアートの世界チャンピオン林隆雄さんがアイアイ・ファンドのためにアイアイとシファカの木彫を作ってくれました。彼の2016年の最後を飾る作品は、アイアイを頂上においたレムール類のトーテムポールでした。 日本アイアイ・ファンドには若い研究者だけでなく、作曲家もイラストレーターも造形作家も映像関係者も彫刻家も料理人も勢揃いして、次の展開を待つばかりです。 新しい時代が始まっています。 2016年活動報告 1月9日 アイアイ・ファンド報告(2015年末以来、貯蔵したバオバブの標本などの整理をして、3月から始まる宇部市ときわ動物園の「マダガスカル展」の準備をしましたが、真紅のマダガスカルバオバブの衝撃、クリーム色のペリエバオバブなどあれこれ報告。) 1月13日〜2月4日 マダガスカル植林事業。マダガスカル航空がバンコク便を廃止したために、2015年12月に予定した植林事業のため。雨季の真ん中で洪水に遭遇。 「今回は植林事業、通常のアイアイ・ファンド事業、それに加えて、車のハンドル変換、地球規模研究課題プロジェクトの推進、そして宇部市マダガスカル展のためのバオバブの花の写真収集とシータ画像の撮影という6重の課題を抱えていたので、1時間ごとに自分が何をするという計画を立てて、3週間を過ごすというハードな日程でした。あ、その上、フクロウの家作りもあったし七つの課題か。」(2月7日付けの報告) 「車のハンドルの変換」とは何か?マダガスカルでは右ハンドルが法律で禁止されたので、このハンドルを左へ付け替えるという難事業が行われたのですが、6月に完成なったこの車が動くのを見た時は、一種感動の瞬間でした。 2月11日 遠藤研究室ゼミ(阿部さん発表)。シータ画像披露、地球規模研究課題への応募計画書作成。この日の新聞では週刊誌の目次に「眞子さまが東大博物館に就職」と報道されました。2016年11月30日の新聞では、秋篠宮様50歳の誕生日に写真入りの報道があり、写真にはテーブルの上にソリテ−、バオバブの実、バオバブの置物とワオキツネザル、後ろにエピオルニスの卵と壁には最大のバオバブの写真とマダガスカルづくしでした。 2月15日 赤松さん、東京動物園協会への申請書など。 2月23日 正木さん、宇部市展示会用のアイアイとシファカ映像作製。 3月10日 アイアイの赤ちゃん、オスのマーフィが2015年12月に誕生したと上野動物園が公表。 3月15日 米倉さん、会計報告。 3月17日 緑の募金公募事業申請書原案作成。 「最近の研究結果は、霊長類の起源が中新世であり、アイアイの分岐は5〜6千万年前に遡ることを明らかにした。この時代には、アフリカには霊長類はいない。したがって、霊長類の起源はマダガスカルに想定すべきだ」という島の新説を、前年の大分講演に続いて発表しました。マダガスカル大使館からはラソアマナリヴォ ロゼット ララティアナ臨時代理大使も参加。このグランドオープンに関東からも多数参加者あり、どういうわけか、皆さん下関まで(まさか○○のため!)。「海流」?「フグ」? この日、マダガスカルから連絡あり。「フクロウはタビビトノキのとなりのモザンビークヤシを泊まりにした」と。 3月30日 決算書作成 4月6日 会計監査 4月9日(土曜日) 日本アイアイ・ファンド活動報告会:午後2時から4時まで、東大山上会館、長崎から平松さん、静岡から五十嵐さん、富津市から藤江さんが参加。 4月10日 「昨日の夜、一粒のラミーが発芽しました。島先生、このラミーと言う植物はアイアイと共生する植物なのではないでしょうか?ラミー側にもしたたかな、種を維持する戦略が有る様に思います。発芽した物は、色々考えて、胚を傷つけない様にハンマーで割って播種をしたものです。」(沖縄こどもの国田園長の報告) ラミーの多胚種子(ひとつの種子の中にふたつ以上の胚が作られるもの)について、田さんの「アイアイと共生のため」との優れた視線に感嘆。 4月14日 チェーンソーアート全米オープン3回優勝者の林隆雄さんから、アイアイとシファカの作品の写真が送られてきました。アイアイの像には日本アイアイ・ファンドの名前が彫り込まれています。 4月19日 緑化機構報告書作成 5月3日 BS-TBS「土曜スタジアム」「珍獣王国マダガスカル」再放送 5月5日 赤松さん、緑化機構会計報告 5月30日〜6月20日 マダガスカル北部調査。島、守亜さん、遠藤教授。 「島 泰三はただ漫然と、今年二度目のマダガスカルに行っていると思われている向きもあるかと思いますが、さにあらず!長年の夢、マダガスカル全島九種のシファカのうち最後に見残した最北端の真っ黒のシファカ、ペリエシファカを探すこと、さらに、マダガスカル全土六種のバオバブの花のうち、まだ見ぬ最北端のディエゴバオバブの花を確認すること、また、北部でアイアイを発見すること、ならびに遠藤教授と守亜さんをマダガスカルにご案内すること、そして運良くば、アンジアマンギラーナ保護区でアイアイを見つけ、さらに運良くば、アンジアマンギラーナバオバブの標本を入手する、という再び三たび、多重債務者さながらの任務をもって、半年と日をあけずにマダガスカルへ旅立ったというのが、実態なのです。したがって、多くの方々が、一月の洪水で進退窮まったという稀有の経験をまた思い出して、『もっと面白いことはないか?』と島が島内をただうろついているだけ、と思っているとしたら、『たいへんな思い違いである!』と断言する次第です。」(5月30日報告より) 断言はともかく、黒シファカのすむアンジャフィアメナへの行程は想像したとおりの悪路でしたが、そこを通りぬけ、息を切らしてのぼった「黒レムール荘」の見晴らしは、想像をこえるものでした。はるか北に聳えるアンブル国立公園の峰々には、時に雲が山頂に巻き、断崖と森の続く180度の広大な視界が広がっていました。 遠藤さん曰く、「世界に何があっても、ここはこのままなんだろうな」。それほど奥の奥、これ以上の僻地はないという奥に、急傾斜地に高床のバンガローが立っており、その露台にわたる風を感じながら、森や空を見晴らすことができる稀有の場所でした。 マンゴーの苗は牛に食われて全滅。私は現地の高台に立ち、「もしも、今年度の緑化機構の予算がついたら、私が現地指揮をとる。ラフィアで柵をつくり、信長の馬防柵ならぬ牛防柵を延長1キロにわたって作り、4千本のシトロン、3千本のラミー、1千本のラフィア、1千本のバオバブ、1千本のアカシア、6百本のバナナ、6百本のマンゴー、5百本のパパイア、3百本のカシューナッツを一気に植えて、緑の大地をここに現出させる」と誓ったのです(なんてバカなやつ!)」(2016年6月20日報告より)。 まったく、夢想家はしょうがないものですが、そのウシ防護柵は、画像のとおりです。しかも、その総延長1650メートル!そこまでやってほしいとは、さすがに指示していませんでしたが。なお、バオバブの種子の熱湯処理実験は成功。苗畑の拡張などの整備も進んでいます。 6月19日 アンタナナリヴ事務所の庭にマダガスカルコノハズクが6月8日に現れ、出発する日までブーゲンビリアの藪に泊まっていました。 6月30日 国土緑化機構から本年度を2年目とする植林助成金の決定通知。 7月3日(日曜日)アイアイ来園15周年記念講演会「マダガスカル-希少な生き物たちの宝庫」於:国立科学博物館日本館2階講堂(主宰東京都上野動物園)。講演者は、マダガスカル国立公園オペレーションディレクターのラコトアリジャヌア・マミさん、上野動物園の西園飼育展示係中村壮登さん、飼育展示課長渡部浩文さんと島で、日英同時通訳つき。島の講演題名は「マダガスカルの生き物たち その魅惑」。 孫のなぞなぞ本で知った「世界で一番大きな葉は?」「世界で一番たくさん赤ちゃんを産む哺乳類は?」答えはマダガスカルのラフィアと真獣類ではテンレック。ラフィアの葉は20メートルにもなり、テンレックは34頭も赤ちゃんを産みます。というような話をしました。 写真はチンバザザ動植物公園のラフィア。守亜さんにモデルになってもらいました。 7月14日 遠藤研究室のゼミ「類人猿として見た人類」東大総合研究博物館 7月19日 ティフォノドルムが発芽。このマダガスカルの水辺に大きな葉を広げるサトイモの仲間についても、沖縄こどもの国の田さんからは種子から芽の出方について詳しい観察が送られてきました。マダガスカルの植物おそるべし! 8月20日 中公新書『ヒトー異端のサルの一億年』刊行(宣伝宣伝!)この類人猿2千万年史では、第一章でマダガスカルへの原猿類漂流説に反論し、霊長類の起源地域をマダガスカルー大インド連合大陸(レムリア)としました。この仮説は、この本で初めて公表され、2017年2月の「マダガスカル国際シンポジウム」で、漂流論者のアン・ヨーダさんと議論することになりました(後述)。 9月4日 「マダガスカル研究報告会」東大総合研究博物館展示室。 島 泰三:2016年マダガスカル北方紀行 遠藤秀紀:巨鳥と小獣に見るマダガスカル特異の進化 守亜和由紀:造形作家から見たマダガスカルの動物 なんという豪華な顔ぶれでしょう(自分で言うんじゃない!)。 10月6日 MAFより連絡があり、今年初頭から交渉していた環境治水森林局とのアンジアマンギラーナ監視森林の管理契約が完了し、契約期間は2025年までの10年間。 10月15日 濱口光さん、マダガスカルに出発。濱口さんは北里大学水産学部出身で、2012年からマダガスカルに海外青年協力隊員として、その後水産プロジェクトのマダガスカル語通訳として活躍されてきたマダガスカル通です。2016年4月から東京女子医科大学の熱帯病研究室研究員として勤務し、マダガスカルに派遣されることになったので、10月末日までにマダガスカル政府から提出されるべき書類の督促をお願いしました。相手は、アンタナナリヴ大学のアジャリニナ教授とフェリックス助教授。期間はわずか1週間。しかも、医科大学の別案件で出張中という困難な条件下での支援要請でした。 どれほど大変だったか?「内容が煮詰まっていない」というジャイカ事務所、事案をよく理解していないマダガスカル側、ただ「やれ」と言う日本側(特に悪いのは島)の間に立って、濱口さんがどんなに苦労したか?言うもはばかられるとは、このことです。 「アジャリニナ教授は今年は無理だから、来年度申請しようとあきらめかけています。とくにこの後のマダガスカル国政府の高等教育省、外務省を通過するプロセスが大臣のサインも含めて最低でも1週間はかかります。 という現状を踏まえて、この後どう動けばよろしいでしょうか。指示をお願いします」という濱口さんのメールが届いたのが、10月19日。このメールへの島の丁寧な返事。「がんばって」。え?それだけ! 10月26日 フェリックス助教授より「今日がデッドラインだったが、うまくいったよ」とのメール。 この経過についての島報告。「特に濱口さんにはずいぶんご迷惑をおかけしたのですが、私の人生は、『迷惑かけるなら、どこまでも』ということで過ごしてきましたので、今後ともご迷惑かたがた、あれこれお願いしたいと思っています。 彼の活動は、いずれ年次報告会などで詳しく語られると思いますが、獅子奮迅、八面六臂、疾風迅雷、突風竜巻、台風ハリケーン、サイクロンちょっと待って、というにふさわしいもので」とまったく他人の迷惑を考えていないという・・・島の臨終の時にでも「ご迷惑ばかりで」と皆さんに謝りましょう。遠藤さんの忠告。「まわりにご迷惑ばかりかけないように。もっとも、まわりに少しばかり迷惑をかけるのが人生ですが」。 10月30日 マダガスカル大使館より、マダガスカル政府からの文書受理との連絡。 10月30日 横浜中華街の「赤ちゃん水族館」へ濱口さんのおごりで、島夫婦と赤松さんが行きました。マダガスカルに実現したいという濱口さんの夢の水族館の見本です。 この講演会を立案した「愛南町アイアイ共和国」の山ア大統領は、農作物に被害を与えるイノシシ、シカを捕まえるだけでなく、その肉を郷土料理にする企画を町と県に売りこもうと遠大な計画を立てていました。そのために、今回は40キロのイノシシ丸焼き野外パーティーを開き、海山の人びと20人以上が集まり、テレビ、新聞も来て大騒動でした。浅川シェフ(日本アイアイ・ファンド、向陵テニスクラブ所属)直伝のフランス料理のフォン(だし汁)の作り方を町と県の担当者に紹介し、「アイアイ共和国」独立運動の費用稼ぎにも協力しました。 11月13日 守亜さんマダガスカル動物展にバオバブのバナーを提供。 11月25日 東京動物園協会あて、中間報告送付。 11月17日 濱口さん、赤松さん、赤尾さんとの会談。 11月26日〜12月19日 マダガスカル植林事業。12月8日からアンタナナリヴ事務所では、メンフクロウがラミーに泊まっていました。大小あわせて35本のラミー、ひとつはかなり大きく(5年物)移植可能な状態にしたものを、6月のSATREPS申請で動いていただいたアジャさん家族に贈呈。 植林地の苗木をウシから守るために牛止め柵を設置する計画は、難航。ふつうの木の柵では村人が薪にもって帰るのです。ブルノーさん、アジャさんの二人は熟慮の結果、枯れたサッチャナヤシを割って柱にし、竹を伐りだし、それを割いて横木にするという解決法を編み出しました。サッチャナヤシは難燃性ですし、竹はマダガスカル人がほとんど使おうとしない素材です。かくて、総延長1650メートルの牛止め柵が完成しました。 今回の植林地5ヘクタールで牛止め柵の延長は片側500メートル、前回の植林地300メートル、そして、これまでの植林地200メートル、合計1000メートル、その両端を閉じても1200メートルです。実際に建設したのは1650メートルなので、標識10番の先、溝があって牛が植林地に入れないところまで、反対側は今回植林地の端の崖際まで柵が伸び万全になりました。 さらに、「2000のラミーの苗のうち300しか芽吹いてない」と最初はがっかりしていたのですが、12月に入っての雨で一気に芽が吹きだし、計画どおりの植え付けに成功しました。また、雨季に入ってアカシアもどんどん芽がでているので、これをまた3月に植えたい、と。 12月27日 濱口さんと3月の植林地調査について相談。 2017年2月4〜5日、マダガスカル国際シンポジウム。葉山にある総合研究大学院大学にて。4月からこの大学の学長になる長谷川眞理子さんには、1994年にマダガスカルで会って以来の再会でした(元東大副学長の長谷川寿一さんの「キクログ」も見て下さいと)。 4日には長谷川政美先生(元統計数理研究所長)の「鳥類-エピオルニスの進化と絶滅」や フェリックス助教授の「マダガスカル小型哺乳類」などの発表があり、5日にはDr. Anne Yoder(デューク大学レムールセンター所長)の記念講演がありました。 彼女はマダガスカルへアフリカから原猿類が漂着したという仮説を、ワーナーブラザースによる映像化画面などで大々的に提唱しました。島は「始新世前期にアフリカに原猿類がいたのか?」と問い、長谷川先生は「インドがマダガスカルと分離した時代に真北へ北上したとすると、原猿類の誕生時点にインドーマダガスカルはつながっていた可能性があるのでは?」と質問しました。彼女の説明は、これらの根本的な問いに答えるものではありませんでした。 2015年に公表し、2016年の著書で文書として公にした私の霊長類マダガスカル起源説(Martinなど先駆者はすでにいますが)は、こうして国際会議での議論になりました。 島は「マダガスカル霊長類の保護―アイアイの場合On the conservation of primates in Madagascar - In the case of the aye-aye」の題名で発表しました。しかし、英語発表だとは知らされていなかったので(というか、こういう場に呼ばれたことがなかったので)、とにかく行き当たりばったりで英語らしいものを口走って間に合わせました。 アイアイの最初の撮影から現在までのアイアイ・ファンドの歩みを解説していて、気がついたことがあります。1990年代の課題は、マダガスカル現地での飼育下繁殖と保護区の設定のための調査であり、2000年代は現地保護区の管理と飼育繁殖の国際化でした。しかし、1995年に国際協力事業団に提唱した「マダガスカル多様性保全プロジェクト」では、これらのほかに原猿類の全国的な分布調査がありましたが、頓挫しました。 分布調査が頓挫している間にも、マダガスカルの自然破壊は驚くほどの勢いで進みました。 上の一覧表はマダガスカルのサルたちが、絶滅寸前とされる種だけでも21種にのぼり、ほぼ90%が危急以上の保護を擁することを示しています。これはすでに国際的な常識ですが、現地での保護活動のむつかしさから、絶滅を防ぐ手立てが立てにくいのが現状です。これまで、アイアイの保護について、まず現地での保護区の設置と管理、そして飼育下での繁殖とその国際的な拡大を計画し、一定の成果をあげてきました。しかし、もうひとつ、どうしても実施しなくてはならないのは、実は、もっとも基本的なそれぞれの種の分布調査です。それがなくては、保護のための基本計画を立てることもできないからです。 そして、もう一点、重大な問題があります。飼育下での大量死です。 2017年2月にDr. Anne Yoderから「DUKE Lemur Center Winter 2017」の冊子が届きました。そこにはデューク大学のアイアイが2016年10月に4頭も続けて死亡したという衝撃的な報告がありました(原因はアヴォガドを食べたためらしいというのですが)。飼育下では突然の大量死が避けられないという例です。 では、どうすればよいのでしょうか? 自然保護区でもない飼育施設でもない、しかし、その両方の長所を兼ね備えた施設を、マダガスカル現地と日本など各国に創設することです。 自然地域はあまりに広がりすぎて管理が難しく、逆に飼育施設は自然条件に欠けてしかも狭すぎるとすれば、広さのある「準自然繁殖管理地」(Semi-Natural Breeding Colony略号SNBC)を建設しなくてはなりません。 その場所は、どこに?その広さは、どれくらい?そして、費用は? だいたい誰が、そういう夢想を実行可能な試案にまでたたき上げるのか? 皆さんの中には、「ああ、また始まったな!」とうんざりしている方もいるでしょうね。そうなんです。すでにその施設は、頭の中にあります。あ、池にはワニが!何のため? 課題は無数ですが、2−3月にマダガスカルに行った濱口さんの任務のひとつは、その候補地の選定でした。 つまり、アイアイの保護に新しい時代が始まるのです。 Copyright(C)2002-2024 Nihon Ayeaye Fund. 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