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【No.43 平成30年4月】 「日本アイアイ・ファンド(NAF)2017年度の活動報告」
日本アイアイ・ファンド代表 2015年の目標は植林活動を本格化することであり、2016年には植林を拡大するとともに調査活動が始まりました。2017年には植林と調査の成果が少しだけ見えてきました。物事の肯定的側面だけ見ようとするのは、癖としても感心しないことで、問題も山のように積まれていることも認めなくてはなりません。なにしろ、マダガスカルは遠いので、寄る年波ごとに活動が困難になっているのです。どこまで続けられることか、と。2002年の開始以来、すでに15年が経過しているのですから、経年劣化は避けがたいところです。 植林活動では公益社団法人国土緑化推進機構の「緑の募金公募事業」助成に3年連続で応募し、2015年度の3ヘクタール、2016年度の5ヘクタールに続いて2017年度にも5ヘクタールの植林を継続することができました。 調査活動では公益財団法人東京動物園協会「野生生物保全基金」の助成に応募し、2016年度のマダガスカル北部でのアイアイの分布調査に続いて2017年度には北西部アンジアマンギラーナ周辺での分布調査を実施しました。 また、昨年度は落選した「地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(サトレプス)」への応募を本年度も継続した東大総合研究博物館の遠藤教授グループへ引き続き現地で、東京で全力で協力しました。 個人的には、念願のロンボク海峡を見たこと、デューク大学のレムールセンターでアイアイの飼育状態を確認したこと、ニューヨークのブロンクス動物園でマダガスカル館とゴリラの森を体験したことが忘れられません。 しかし、マダガスカルの印象もまた今年はことさら強烈でした。第一、濱口方式(メトド・マンギラナMethode Mangirana)と呼ぶべき植栽法の威力を目の当たりにしたことです。第二、苗畑管理のクラニの息子セリが、運転とガイドにはブルノーの息子のRelomananjary Ntsoa(どう発音?)が、それぞれ父親と話しながら、私たちの事業を手伝うようになりました。第三、アイアイの研究ではニコさん(アンタナナリヴ大学)が、アンモナイトの研究では竹田さん(東大)が、それぞれの領域で確実に成果をあげています。彼らがマダガスカルの夜の闇、ベチブカ川のはるかな南へと突き進んでいるのを見たとき、まったく新しい世界が開けようとしていると感じました。これは、まったく新しい世代による新しい研究の時代の始まりです。ニコは地上を走るアイアイを幾晩も追跡し、竹田は地下40メートルの穴の中へ潜ると。 最後の衝撃が、今年最大のものかもしれません。ベチブカ川南方へ進出した竹田・ブルノー組は、新しい大森林の情報をもって帰りました。ブルノーは「かつてのアンジアマンギラーナの森以上の森がたしかにある」と断言し、竹田さんは「来年いっしょに行きましょう」と誘うのです。心は躍るが、年齢差40。ベチブカ川のフェリーにはエンジンも積んでいないし、トヨタの四駆も行けない道だし。 1983年にマダガスカル行きが決まった時に見た夢、「誰も行ったことのない大森林」は、35年後に実現するのだろうか? 行くか行かないか、こんなに迷ったことはないなあ。 2017年活動報告 1月5日、濱口さんの2~3月マダガスカル派遣について、島・米倉(会計担当)会談。濱口さんはこの出張が認められない場合は、東京女子医大に辞表を出す覚悟であると(1月9日)。 1月16日、石原、濱口、島会談。山科(『新しい人体の教科書』著者)さんに紹介される。 1月27日、総研大シンポの英文要約、MAFへ英文手紙作製。 2月4−5日、マダガスカル国際シンポジウム「マダガスカルにおける霊長類の保護―アイアイの例」を発表(葉山の総合研究大学院大学、長谷川眞理子さんはこの4月から学長)。 このシンポジウムで特別講演をしたデューク大学レムールセンター所長のA・ヨーダから2016年10月に4頭のアイアイの死を報告する年次報告書が送られてきた。 2月15日 赤松・島、東京動物園協会への申請書、報告書作成。 3月1日、アイアイ・ファンド報告書作成、3月3日、報告書発送。 3月10日、山時さん(日本養蜂協会専務理事)へ、マダガスカルのサルとタビビトノキの写真を送る(草地学会で発表用)。ちょっと役に立ったかなと。 マダガスカル原猿類和名一覧(100種!)とネズミキツネザル(24種超!)の最新動物地理模式完成(下図ヨーダらの論文を修正)。 3月11日、サトレプスは落選。今年もきつい戦いが始まる。 3月13日、マダガスカル報告(濱口)。会計、映像、MAF問題、そして新しい植林地。準自然繁殖コロニーの予定地として、ポールベルジュ付近の湖沼地帯を調査。 3月19日、動物園協会報告と緑化機構への申請内容検討(赤松・島)。 3月22日、会計報告作成(米倉・島)、 4月2日、アイアイ・ファンド活動報告会と懇親会 4月16日、緑化機構報告完成 4月21日、「遠藤研ゼミ:アイアイは川を渡るか?」外部からは長谷川政美先生、加藤先生、清水さん、守亜さん、島節子出席。 5月8日、マダガスカル情勢と今後の戦略について(島・石原・濱口)。 5月14日〜20日、バリ島(観光ではありません。ロンボク海峡:ウォーレス線の視察です。じゃあ、なんで高地のウブドにも泊まったんだよ、と言われるかもしれません。犬の観察でーす。) 5月30日、別冊宝島『最新学説で読み解く人類20万年の歩み』の校了。監修なるものを初めてやった。カメラ購入資金ほしさに。 6月10日、ブルノーから昨年のサイクロンでカメラ・コンピューターをすべて失ったと救援要請。カメラは山吉さん、正木さん、小田さんから贈られ、島は猫ばばしようかと。 6月24日、濱口・島(日本近海マグロ漁の実態とか)。 7月1日、サトレップス草稿完成。緑化機構から2017年度の植林費用が認められた。 7月5日、TBSビジョンの江夏ディレクター・島。ベマラハのシファカのドローン映像。革命である。1988年の日本初のシファカ映像が負けた瞬間だった。「でもちょっと卑怯かな」、「飛び道具ですからね」と。 7月18日、伊庭北大助教・竹田さん・島。マダガスカルでのアンモナイト調査計画。危険は覚悟の上だとか。サルと違って鉱物資源はむつかしい。 7月21日、遠藤さん・植田さん・島、JSTへサトレプス企画書提出の件。 7月から人生整理を写真の整理から。フィルムの時代、テープの時代、デジタルの時代と三つの時代を過ぎてきた。1975年のイリオモテヤマネコの撮影は16ミリフィルムだった。 8月20日、濱口さん・赤松さん・島、マダガスカル事業計画とマグロ漁船の話。 9月4日〜13日、デューク大学とブロンクス動物園訪問 9月7日、レムールセンターへ行く。11時のツアーに合わせて金を払う。「昨日も来たのに全額か」と冗談のつもり言ったら受付の頑丈そうな女は「一人12ドルだから、合計25ドル払え」と増額されたうえに、「アイアイの施設など見せられるわけがない」とつっぱねる。「所長のヨーダに招待されてきたんだぜ」と言っても聞かない。 しょうがない、こういう連中はこういうものだと、ツアーのしっぽについて出ると、もうひとりの頑丈そうでないのが、「タイゾー」と呼び止め、「非常に例外的に、アイアイにわずかな時間だけ会わせる」と言う。案内にたった飼育者は熱心に「アイアイもネズミキツネザルも、見たいだけ見て」と。こうまで人によって違うと、あきれるしかない。 左:ネズミキツネザルの飼育施設。夜行性だから昼間は赤外線で見る。右:キツネザルの施設を公開中。コクレルシファカの施設はずいぶん大きかったが省略。 案内してくれた飼育施設の女性に日本から持ってきたお茶をプレゼントした。ヨーダとは研究室で会って、その学生たちが犬類研究センターに連れて行ってくれ、実に親切に便宜をはかってくれた。そのうちのひとりは、10月にマダガスカルに来るのでよろしくと。 9月9日、ニューヨーク、セントラルパークとその両隣のメトロポリタン美術館とアメリカ自然史博物館AMNHを、またしても走って回る。公園ではバルトの銅像。「ユーコンの疾走」で血清を運ぶ最後の犬ぞりのリーダー犬である。 自然史博物館ではアイアイとメガラダピスの全身骨格があり、オランウータンの手足の骨格が実によくできていた。 左:アイアイの全身骨格AMNH(右手の中指を立てて枝をつかまないようにしてほしかったなあ) 右:ブロンクス動物園のワオキツネザル(これだけの距離で撮影できるのは、驚き) 9月11日、なんと911である。地下鉄でブロンクス動物園に行く。鳥の展示にガラスを入れていないことや、音と匂いが現地を再現していることに驚く。ただ、シファカの展示はベマラハだから、コクレルシファカでなく、デッケンシファカでなくては。 ゴリラの展示はマダガスカル以上に圧倒的なもので、コンゴの森に入っていく感じで目の前の丘の斜面にゴリラがいた。ついポーズをとって撮影してもらった。 9月19日、小林愛実さんのメガラダピスの犬歯が大きいのはなぜか、という質問に答える(アイアイ・ファンドホームページに「犬歯と食性」として掲載)。 9月22日、福音館編集者・絵本作家・島、『たくさんの不思議』のシファカ編打ち合わせ。絵本作家は2016年にマダガスカルに来る予定だったが、一年繰り越し、さらに2017年には、ペストがマダガスカルで流行という噂(事実)で再度延期。デューク大学の学生も同じ理由で延期となった。 9月23日、上野動物園渡部副園長・島。上野動物園の将来計画など。マダガスカルとの協定締結も考慮中とのこと。 9月25日〜10月24日、マダガスカル 上:夕陽に目を細めるメンフクロウ アンタナナリヴ事務所の一番大きなラミーの枝にメンフクロウが泊まってくれた。 こちらの植えた木をフクロウが認めてくれたことがうれしい。 10月2日、サトレプスのマダガスカル側からの申請要請と日本大使館とジャイカ事務所への説明のためにマダガスカルを訪問した遠藤教授を空港に送る。 このマダガスカル側からの申請は、アジャリニナ教授による理学部の「人類学と持続可能な開発学科」内の申請、大学副学長への説明、大学総長のサイン、高等教育省総局長の受付、事務次官のサイン、外務省送付、外務省事務次官のサイン、日本大使館への送付という気の遠くなるような手順が必要になる。これを10月16日中に日本外務省へ到着するように、時間の余裕を持って通過させなくてはならない。あらゆる手立て、人脈が必要だったことはどなたにもご了解できるかと。これを、濱口さんは昨年ひとりでやったのだから、頭が下がる。 遠藤さんの出発は最後まで見送ったが、それにはわけがあった。モーリシャス経由でマダガスカルに来る時、モーリシャス航空は彼のEチケットを認めなかったというのだ。しかも遠藤さんはアンタナナリヴに着いてからも、宿泊先に届くまで二回も警察の検問で、「税関より丁寧にトランクを開けられた」とか。空港への道が大渋滞だったほかは、なんとかクリアー。 午前9時に出発、タナ大学でアジャ、フェリックス、アジャリニナ教授と会って、明日また10時に来ること、理学部からの書類を提出すること、副学長に会ってサインをもらうこと、など確認して、空港へ。大渋滞の中、12時に空港についた。遠藤さんの出発まで見送った。なにしろ、来るときはモーリシャス航空が遠藤さんのEチケットを承認しなかったというのだから、それが心配だったが、これはなんとかいったようだった。 10月4日、竹田さんの出迎えに空港へ。タイヤパンク、予備タイヤも脹れて危険状態。竹田さん・宝石商・アンモナイト案内人・アジャさん・島会談。 10月5日、アンジアマンギラーナへ。仕事はふたつ。ひとつは動物調査、もうひとつは植林。車も二台。手分けして、仕事を進める。 10月7日、ニコさんに会う。すぐアイアイのデータをくれて、しかもカメラを「あなたのものです」と返却しようとした。これにはすっかり参った。いい男だった。いっしょにアンジアマンギラーナに行き、苗畑を見て、そこそこの苗があることで安心。ニコは「カシューの苗がある」「数は170本くらいか」とか、実に正確な見積もり、観察をしていた。 マナサムディに登り、現状を見る。柵はすべて壊されてなくなっている。しかし、苗はなんとか生き残り、ことに濱口方式は95%の生存率だった。昨年はアンタナナリヴではほとんど雨季の雨がなく、西部でも雨が少ない雨季だったから、この生存率は驚異である。 10月10日、ブルノーさん合流。ブルノーさんへのカメラ引き渡し式。これで、竹田班も独自に動けるようになった。 10月13日、ブルノーさんとフィディなる現地案内人をつけ、竹田さんをベチブカ川の南へ送り出しました。現地では「アンモナイトなんて一言も言わない。ひたすら、日本、マダガスカル国際協力生物相調査で来た、アイアイがいるはず」と言ってと。 上:ベチブカ川を渡るフェリー:竿で押すフェリーはよくあるが、ここではロープを引っぱって。トラクターしか通れない道が先にある。 10月14日、竹田班アンタナナリヴに夕刻着。竹田さんの行った場所の先には、密林があり、アイアイの可能性もあることが報告されました。 ブルノーさん曰く「そこへは、四駆の車も行けない。歩いていくしかない。しかし、だからこそ、自然の林が残されているのだ。私は行けるぞ(金さえあれば)、雨季でもいつでも(金さえあれば)。ドクター、行こう(金持ってきて)!」 10月20日、植林班、アンタナナリヴに到着。木曜市の日。チンバザザ動植物園で竹田さん・ブルノーさんと合流しジルベールさんに会う。「MAFはアンジアマンギラーナでのNAFの活動をありがたいと思っているし、今までと同様に今後も協力する」と確言し、「私は修士論文を通してくれ、日本に行かせてくれたあなたのことを忘れないし、私のことも忘れないでほしい」と言ってくれました。彼が今までの私たちの関係を今でも大切にしていることを確認できたのは、非常にうれしいことでした。ラミーの並木の下でいっしょに撮影。現在、ジルベールさんはチンバザザ動植物園に研究員として勤務し、博士号を取得しているので、これから10年間は高等教育省で働くことができる、とのことでした。彼の事務所は東京動物園協会の資金で立てたアイアイ繁殖棟で、秘書さんがひとりついています。私たちはここで会議をすることもできました。 10月23日、「アイアイファンドの皆さまへ」現地報告完了。 ラミーの植林が新しい段階に入りました。植林地での濱口方式のように、苗畑では石原方式が決定的な成果をあげ、これで胸を張って熱帯乾燥地帯でのラミーのような水源喬木を育てる技術を確立した、と宣言できます。 2010年3月に赤松さんがラミーの種子を苗畑に作り、その成果を10月に確認して以来、現地とアンタナナリヴでラミーの試験的植林が始まったのですが、その植林を大規模に現実化する方策を今年は開発したと言えます。 また、チンバザザ動植物園と事務所庭のラミーが19歳となり、あと数年、早ければ来年にも種子供給が自前でできることになります。そうなれば、マグロの完全養殖のようなもので、種子供給、苗畑での大型苗の育成、乾燥地での植栽と一貫したラミーの植林が可能です。 上:メンフクロウは飛び立つ前に私たちの前に姿を見せてくれる。 この植樹が人間の側の都合だけでなく、ほかの動物たちにも役立つということが、何よりうれしいことでした。フクロウは事務所のラミーの木に1週間泊まっては、また出発するという様子で、出発する前に全身をよく見せてくれます。 人間の勝手な思い込みと植樹が、フクロウにも役立つというのは、生命の不思議を感じる瞬間です。マダガスカルを出発するにあたって、こういう隣人たちがいるというのは、頼もしいかぎりです。 11月3日、得丸さんの『道元を読み解く』(冨山房インターナショナル)を読み、『正法眼蔵』第一の「現成公按」を書写していて、身の震える思いを感じた。 「仏道をならふといふは、自己をならふ也」のあまりにも有名な一節。これを自分にひきつけて、こう読み解く。「生命の秘密を解き明かそうとするのは、自分自身の謎を解き明かすことである。自身の謎を解き明かすためには、自己を忘れなくてはならない。自己を忘れることができて始めて生命の法則が開けてくる。生命の法則が開かれるということは、自分と他人のこれまでの限界を突き抜ける論理を入手できるということである。これを悟りと言えば、この悟りを覆いかくすことも必要であり、そうすることでさらに広く生命の学問領域に影響を及ぼすことができるのである。」 こんなことが本当に起こるのか、という経験だった。あれほど難解だった道元が楽々と心に落ちてくる。そして、普勧坐禅儀が「真指端的の道に精進し 絶学無為の人を尊貴し 佛佛の菩提の合沓し 祖祖の三昧を嫡嗣せよ」と勧める意味が、高校時代以来、初めて心の底にストンと落ちついた。 11月8日、濱口さん・島。動物園協会の報告作製。 11月25日、得丸さん出版記念会に出席。 11月28日、島・木楽舎小黒社長会談。島、外務省へ直談判。 12月1日、ある決意。「あきつ島西の長門の夕焼けは 終いの日にこそ立ちて見にゆく」 12月3日、霊長類の起原について図化。 図:大インド(白抜き)とマダガスカル(ピンク)の位置。左:88百万年前。右:65百万年前。赤丸は活動しているホットスポットを示す。左はマリオン、右はレユニオン。黒丸はインドのムンバイの位置。赤道との位置関係に気をつけてほしい。左では中生代後期の88百万年前で、マダガスカル南端のマリオン噴火口(現在のマダガスカルでは南部アンドロイ火山volcan de L’Androy)右ではインド大大陸は北端がすでに赤道の位置であり、マダガスカルはほぼ現在の位置である。 65Ma以降、大インドの北上が加速され、それまで年間3~4cmだった北上速度は67Ma以降50Maまでの間は、年間20cmと5倍以上になったとされている(Chatterjee et al., 2013)。それなら、話は簡単。アンドロイ火山爆発でマダガスカルから大インドの南半分が東にずれるが、北部はマダガスカルと近い距離を保っていたはずだ。 12月4日、濱口・島会談。草の根協力など国際協力プロジェクト。 12月8日、サトレップス申請受付棄却を訂正受付。この逆転までどれほど苦労したか。 12月12日、遠藤・濱口・島会談。国際協力案件について。 12月27日、赤尾・島会談、ロジャーズの論文検討。 ファンドメンバー、ご寄附をお寄せくださった皆さまにお送りしております「2017年の日本アイアイ・ファンド活動報告書」のPDF版もご覧いただけます(別窓でPDFファイルが開きます)。 アンジアマンギラーナ基地の柵周囲ののラミー(2010年苗)と2016年に植えたアカシアの苗のもっとも大きなもの。モデルのアジャさんで同寸に揃えています。 Copyright(C)2002-2024 Nihon Ayeaye Fund. 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