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【No.46 平成31年1月】

2018年12月の現地活動報告

日本アイアイ・ファンド代表
島 泰三

 12月に出発したはずの島からの連絡が年を明けてもないのは、マダガスカルに居ついたか、そこで死んだか、どっちかで、どのみち日本に不要の人物だったなあ、と思っていらっしゃるかと。

 実は、マダガスカルに出発する日にメール機能が壊れ、当日遠隔操作で修理するという技術者を二人も頼んだのですが、ついに壊れたままとなりました。スマホのラインで日本とは無料通話ができたので、メールはいいやということになりました。そうすると、時間の節約になり、仕事がはかどることが分かりました。

 そうこうするうちに悟ることがあり、年末年始にかけて没頭し、ようやくひと段落ついたので、マダガスカル報告をしようと。

 現地は真夏。アンタナナリヴから12時間かけてアンジアマンギラーナに到着。 ちょうど植林を始めた日に夕方から大雨となり、雨期入りです。これで植えた木の水の心配をせずにすむと、おおいに安心しました。

 今年は私が現地にいる間に、すべての作業をすませよう、アジャさんとブルノーを動員して準備しました。短期決戦です。私立学校の校長の協力と村の協力、そして森林監視員たちもかなり働き、成果を上げることができました。

 第一は植林。5ヘクタールという広さですが、一日70人動員して、昼飯も食わせるということで、現場7時集合、午後4時解散という8時間労働体制でした。70人の食事の準備を赤ちゃんをかかえた女性ふたりが準備するのですが、まあ、よくやれるものだ、と感心しました。写真に写っている人数は30人程度ですが、よく見ると食事係もいないので、これで半分ですね。なにしろ集まらない人たちなのです。


 牛車はあの山道を一日3回往復するという難行でしたが、牛たちの強さに驚かされました。今年のアカシア苗は2年物なので、高さは2メートルになり、牛車の上で旗指物のような感じでした。


 今年は2キロにおよぶ柵の修理について考えました。どうしても横木は壊されるし、熱帯では木は簡単に腐るのです。丸太を購入するのは、高価なうえに入手困難で、アンツイヒで買えば、40キロの運搬費用がたいへんです。

 そこで、基地まわりの林を切って丸太を出すこと、2010年にジルベールたちMAFが植えたアカシアを切って丸太にすること、さらにアンタナナリヴの事務所隣家のハナキリンを切って、柵の間に植えて、生垣を作ること、を計画しました。隣家のフランス人は快諾。さっそく長さ1メートルのものを百本切り出し、現地に運んでこれを20センチに切り、丸太の柵の間に植えました(2メートル間隔で1キロ分)。丸太の材料は、基地まわりの立木です。写真のように20年間切らずに放置したやぶは森になっていて、ここから丸太を切り出すだけで、柵の杭を供給できました(基地の柵ぞいに小学校への道があり、そこを通る子どもたちと比べると木々の大きさが分かるのですが、手前の木は2010年に植えたものです。)。これで、ジルベール森林には手をつけずにすみました。


 光方式での植林は実に効果的で、植林地の状態もよく分かります(写真の植林成果をご覧ください)。また、植林後の活着率も圧倒的で、2年目になっても成長は続いています。


 今回は、植林地さえ守ることができれば、保護区南端の保全ができること、そのための柵資材、苗の供給に見通しができたこと、植林された木々は順調に生育しているので、ジルベール森林のように10年たてば種子も生産できる大きな林になること、などを確認し、ようやく見通しがついたなあ、という感じでした。

 今回は学校植林地を整備しようということになりました。木曜日はマナサムディに登って仕事をしてはいけないということで、植林が一時中断し、丸太の運搬だけにして、学校植林の日にしました。

 基地の西隣の私立学校の土地です。7月の児童センターへの飴玉やサッカーボールが好評だったので、今回も日本から飴玉を買っていって渡しました。

 子どもたちは全部で65人、教員が5人、校長と村のコンセイエ(顧問?)となったミッシェル(濱口さんに自分の持っている10ヘクタールに植林できないかと言った人)とこちらの森林監視員が加わり、お祭りさわぎとなりました。

 生徒ひとりにアカシアとラミー1本ずつの植樹でしたが、アジャさんの指導演説にはびっくりしました。できる男です!飴玉とサッカーボールは、誰も文句のつけようがないほどの興奮でした。


 ブルノーは「今回が初めてじゃあありませんよ。あなたが学校に協力してやれって言ったから、サッカーボールとバレーボールとかノートとかをこれまでも寄付してます」と。そうだったっけなあ?

 ミシェルは村の幹部として、マナサムディ山を正面に見て村の中心部にちかづく道路に並木を作りたいということで、傘状になるマンタリという木の苗30本(片側15本)を植えました。この苗がいつのまにか、クラニの苗畑にあったのは、どういう理由なんだろう? 「バオバブのほうが観光になるんじゃないか?」と提案。「まあ、次はそうしますか。でもマダガスカル人はこっちが好き」うーむ。


 今回は基地まわりの林を切って丸太にするほか、老朽化してきた基地の整備、とくにまわりの柵を作りました。この杭の丸太は基地内から供給できるのですから、簡単。

 もうひとつ。ジルベール森林のそば、境界標識10番のとなりに植林看板と石碑を建設しました。この石碑は孫が来た記念にしたのですが、設置したアジャは「これは誰も手がつけられません。だって、この地域の人々にとっては墓と同じ構造なので、恐れられて聖域となります」とか。


 それなら、保護区を守る石碑作戦もありうるな、と。ついでに、ジルベール森林と木の看板を立てて、植林成果もアピールしました。


 この植林看板の左の林がそれで、看板の右隅に人がいるところが石碑の位置です。

 さて、年末から没頭してきた仕事に戻ります。アイアイファンドの活動報告会は、理事の清水さんの退院を待って決めたいと思っています。



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