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【No.47 平成31年3月】

「日本アイアイ・ファンド(NAF)2018年度の活動報告」

日本アイアイ・ファンド代表
島 泰三

新しい世代が見えてきた!
2018年は実に面白い年になりました。7月に17歳になった島の孫愛ちゃんがマダガスカルに来て、しかもアンジアマンギラーナ監視森林の植林地現場まで見たのです。島にとっては大きな成果の年だったのですが、アイアイ・ファンドにとってもそうだったことを願わずにはいられません。
2015年に植林活動を本格化することを目標とし、2016年には植林の拡大とアイアイの調査活動、2017年にはこれらを継続して、「メトド・マンギラナ(Methode Mangiranaひかる植林法)」(光方式)植林など成果が少し見えてきたのは、すでに報告しました。2018年には、これまで植林した苗の生育が順調で、植林を継続でき、また植林地を守るための新しい方策としての柵の材木の供給先を確保し、苗畑の整備などを進め、同時に村との友好関係も深まり、近隣の私立学校「ファナンブタナ(助け合い)学園」との協力も拡大できました。今年は、ちょっとだけ胸を張ってご報告できます。
何か、ひとつの区切りが見えた、という感じなのです。1998年に発芽したラミーがすでに大木になっているので、これが親木になってラミーの種子を採取し、それによる苗ができる、というサイクルができたときが、一段落だと思っていたのですが、それを待たずに、ある区切りがついたかな、と。
植林活動では公益社団法人国土緑化推進機構の「緑の募金公募事業」助成に4年連続で応募し、2015年度の3ヘクタール、2016年度の5ヘクタールに続いて2017年度の5ヘクタール、そして2018年も5ヘクタールに植林しました。2010年に始まったアカシアの植林地を含めて保護区南端の境界線の約2キロメートルに柵ができ、その内部が幅100メートルですべて植林されたことになります。
調査活動では公益財団法人東京動物園協会「野生生物保全基金」の助成に3年目の応募をしたのですが、落選し、ベチブカ川南岸のたぶんジャイアント・アイアイの調査はおあずけとなりました。「誰も見たことのない大森林」は、次の世代に夢をつなぐということで、いいのかも、と思ったわけです。
今年の成果としては、第一に大きな苗木の調整です。ふつう、苗屋ではその年に売れる苗を種子から発芽させてそのまま売るので、発芽後2~3年の大苗は計画的には作られてきませんでした。5ヘクタールもの植林地では、やはり草に負けない大型苗が必要ですが、それがなんとか供給できる目途がたったのです。
第二は、2010年のアカシア植林地が生育し、種子が取れるようになったことと、アンジアマンギラーナ調査基地の林が伐採できる大きさにまで生長し、植林地保護の柵用丸太を供給できたこと、です。
第三は、現地の学校や行政との協力による植林が始まったことです。カシューナッツの苗が大きくなり、現地は小産業の予感を持つようになりました。アラン村長から感謝状も取ったし。
そして、なにより孫が現地を知りました。そして、「また、行ってもいいよ」と。



写真:アンジアマンギラーナ監視森林南端の植林成果と愛ちゃん視察団(2018年7月)
昨年度の「光方式」植樹は生き残り、成長し、カシューなどはこんなに大きくなっていました。「3年で果実が収穫できる」と、皆の意気込みが変わってきました。


本年度の植林(2018年12月)では、全部の苗をサッチャナヤシの葉で防護したので、植林地域は枯れたヤシの葉がずらりと並んで壮観でした。これだけで4分の1ヘクタールです。今年の植林地域は5ヘクタールですが、これまで植林した地域の補植や草刈り、延長2キロメートルの柵の建設、学校林での植林、国道の並木植樹など、多彩な植樹活動も行いました。


アンジアマンギラーナ村クラニ敷地内の苗の一時保管場所。バオバブ、マンタリと立て札が見えますが、分かり易くなっています。右端が3年物のアカシアで高さは2メートルにもなり、植樹の時から草たけより高くなりました。購入した苗は、みな大きなビニール袋に移し替えて保管し、根がよくはるように工夫しています。(2018年12月12日撮影)


12月13日ファナンブタナ学校林予定地で、円陣を作って、アジャさんの話を聞く小学生たち。右手前のアカシアは今年植えるもの。


2018年活動報告
1月7日、アジャさんへ2月の植林地整備計画と12月の活動報告を送付方連絡。
1月10日、動物園協会用報告書作成。
1月29日、アイアイ・ファンド寄付者への領収書完成(2019年は一カ月遅れ!)。
2月7日、アイアイ・ファンド会計、米倉さんと。
2月10日、動物園協会への申請書作成、赤松さんと。
1 緑化機構への連絡、半金送付願い
2 『はだかの起原』の校正 学術文庫版あとがき原稿
3 アイアイ・ファンド年次報告作成
4 アイアイ・ファンド年次報告送付
5 写真整理(ポジ整理はあきらめる。写真はまとめるだけ)
6 倉庫・ファイリングキャビネット整理
7 動物園協会講演3月24日用要旨
このほか愛南町スマ原稿、国内動物園原稿、シンガポール動物園原稿と本年から本格化した『犬と日本人』原稿など。
3月4日アイアイ・ファンド活動報告会(予算・事業計画を忘れた!)
3月8日 クラウドファンディング計画。阿部さんと。
3月10日 遠藤教授より「サトレップス応募落選」と。
3月14日 愛ちゃん、驚愕発言。「マダガスカルに行きたい」と。
3月21日 動物園協会への申請落選。ジャイアント・アイアイは再び夢と。
3月24日 動物園協会講演会。それにしても、落としておいてから講演だからなあ!
4月4日 愛ちゃんは友だちと上野動物園に行ったという。「アイアイのところでジイジの写真があった。ジイジがアイアイを上野動物園に連れてきたの?」そうだよ、と私は答える。「そうなんだ、やっぱり。」マダガスカルに来るの?「そりゃ、行きたいよ。」
4月13日 アイアイ・ファンド16年間のパンフを整理したから、ひとまとめで見られるよ、と連絡したら「どこで見られる?ネット?」と愛ちゃん。
大学入試で使うなら「ジジについて行くだけじゃダメで、論文書いて、それがどこかで認められなくちゃいけない」ということらしい。しかも愛ちゃんには考えがあるらしい。
「自然の保護っていうだけじゃダメだから、そこの子どもたちに何かできることない?音楽でとか。私なら、ピアノ弾けるけど。」
4月15日 天然記念物取材始まる。動物園取材と併行。
4月24日 国際文化会館にて、赤尾さんの講義を聴く。PIASの会および鹿児島奨学会同学舎舎友会のメンバーと知りあいになる。のち、薬丸自顕流に結びつく。
4月25日 緑化機構会計報告完成。動物園協会の報告書作成。
4月28日、石原さんにアジャへの植林地整備資金を手渡す。動物園協会で発表した内容をまとめて『どうぶつと動物園』用原稿。
5月2日、赤松さん「動物園協会と緑化機構の申請原稿の校正」要請。
5月3日 愛ちゃんから電話。「メールしたけど見た?やっぱり、見てないんだね。メールできないんじゃないの。メールに書いたけど、7月19日から31日だったら行ける。」行く気だ!とびっくり。記念にサクランボを植えようと考える。
5月5日 緑化機構会計報告処理、赤松さんと。
5月7日 講談社からまっさらの『はだかの起原』届く。 5月8日 動物園協会の報告書、『どうぶつと動物園』用原稿。
5月31日 滋賀県長浜にて。一昨日までの徳山動物園の原稿とこの米原の蛍の原稿、そして、5月9日からのイエローストーンの原稿の三重である。
6月17日 八幡平にて。沼には、数十のモリアオガエルの卵塊が重たげに垂れ下がっていたが、カエル本体は見つからない。サル屋はモリアオガエルの基本情報も知らない。あわててネット情報、産卵は湿度100%、つまり雨の時だと。どうするんだ、このカエル、どうなるんだ、この企画、誰だよ、こんな企画立てたのは!(私がシンガポールの夜に、つい調子に乗って言っちゃったんだよね)夕食のバイキングは、7時までに戻ってこないとなくなるっていうしさあ。夕食後、カエル本体を探しに沼に行こうとすると、フロントから「冗談ではなくて熊の目撃例が多いので、これを」と鈴を渡された。命がけってこと?この取材。6月中に続けて北海道での大雪山、知床の取材。同じ北海道って言うけどさ、途中一泊しないと、届かない距離なんだよ。雪の大雪のコマクサ平は風速19メートルと台風なみで、傾斜度45度の斜面では滑落するしさあ。
6月27日 愛ちゃんたちとマダガスカル行きの打ち合わせ。明日から動物園取材を7月始めまでに2カ所、7月上旬から中旬に奄美大島と佐賀で天然記念物計4種以上(大雪大失敗のため)の取材、その直後からマダガスカル行きである。こんな忙しい目に会うとは!(泣く)しかも、7月末から8月始めのマダガスカル行きの直後も、広島で天然記念物と動物園のダブル取材。誰だよ、こんな日程作ったのは!
マダガスカルで児童保護施設に行くのであめ玉100個買ったと愛ちゃんに報告すると「それだけ!?」という。そのほかにボールペンとノートを現地で買うからと安心させる。しかし、あめ玉はもう100個買ったほうがいいかも。
6月30日 緑化機構から2018年度の植林助成決定通知。担当の箕輪さんと赤松さんにお礼と連絡。
7月5日 動物園、天然記念物原稿合計5本完成。木島泰三氏へ「ミーム論者批判」。
7月18日〜8月1日 愛ちゃん、そのママと祖父母、そして下関の近藤さんという五人組でマダガスカルへ。
7圧20日、アジャ、フェリックスと打ち合わせ。ママを病院へ。モルモットでケア。
愛ちゃん、ジジ批判。「それじゃあ、召使いへの言い方じゃん。やっていただくという気持ちがなくちゃ。この平等の世の中に変だと思わない?」と厳しい。
7月21日 エアマダガスカルでチケット購入、石原さんにアジャ資金の追加立て替え分を支払う。サクランボの苗3本の植えつけ(米澤の吉澤さんから送っていただいたもの)。
7月22日 マジュンガへ。裸足で歩いている子がたくさんいるのを見て、「出会うかぎりの人に靴をあげたい」と愛ちゃん。
7月23日、マジュンガ早朝4時発でアンジアマンギラーナへ10時間の車の旅。それでもマナサムディ山頂の植林地を回る。バナナの大きな房を見つけ「自分で切る」と初体験。
7月24日、アンジアマンギラーナでのムフガシ(マダガスカル風揚げパン)の朝食だけで、マジュンガまで戻る。バオバブに夜のイルミネーション派手!
7月25日、マジュンガにて「ラクサクレ聖なる湖」へ。シファカの森を回り、海岸で昼食、近くのホテルでお茶。この時、ココアを頼んだのに、カップを持ってこなかった給仕に女性団が口々に文句を言うのに、愛ちゃん「いつも、いつも悪口ばかり言うんじゃないの」と一喝。みな、驚く。
ホテルへの帰り道でカシューナッツの木。「カシューって、高いって思うけど、取る手間とか作る手間とか考えたら、そう言えないよね」と愛ちゃん。
7月26日、再度シファカの森へ行き、カシューを買う。バカなジイジは、孫にカシューの中身を見せようと?みつき、中毒死寸前となる。生のカシューの種子まわりの果肉にはアミグダリンという青酸配糖体で、体内で青酸化合物となる。危ないところ。
アンタナナリヴに戻ったが、空港に出迎えているはずの車が来ていない。またまた、おばさん連があれこれ言うのに「ララさんが手配しているから信用すればいいの」と愛ちゃん再び一喝。この言葉にジイジは思わず「いいやつだなあ、お前は」と。空港の手荷物検査で係りがポットを禁止品と言って取りあげようとした事件もあり、ママ曰く「こんな目にしょっちゅう遭って、よくやっていますねえ。よくまあ」と。
7月27日、「アイアイ・ファンドの皆さま、また友人の皆さまへ」を発送。
ラミーの木とジャカランダの間に張ったハンモックはベトナムで買ったもので、わざわざ「ジジのだから乗るな」と言っておいて、カメラを用意すると案の定、ドタバタと乗ってひっくり返り、とてもいい映像になりました。
7月28日 アンバトランピ児童養護センターへの旅。石原さんに施設内のいろいろなところを説明してもらって、最後に飴とサッカーボール、フリスビー、縄跳びの縄の贈呈。
7月29日 午前レムールパーク、午後ララさんの家へ。豚を飼っているのには驚かされる。デジさんの工夫の炉と煙突を見せてもらった。飴と衣類をお土産にした。「デジは心が広いよね」と愛ちゃん、うん「広いよ」とジイジ。ララの孫には発育が遅れている子もいるからね。
7月30日 「午前10時に大使公邸でおやつでも」というお招きだったので、「孫と行ってもいいですか」とあらかじめ了解はとったが、結局ママも近藤さんもいっしょなので、一計を案じた。一時間前に大使館に到着して、書記官に面会して、参事官、医務官にも会って全員で公邸へ。お茶とお菓子を頂きました。公邸のラミー7本は順調に育っていた。
アクサでアジャさん、石原さんと打ち合わせ。チンバザザ動植物公園でカンムリキツネザルとの触れあい。愛ちゃんたちは狂喜して「一時間でもいられた!」、「サルの飼育係になりたい。でも掃除とかいや。餌をやるだけの係」と、まあ、勝手な言い分。
7月31日 空港への道筋、宝石商ティナの家へ。愛ちゃんたちはウサギの赤ちゃんに驚き、ブタ、鶏、そしてウシまで飼っている家にびっくり。出発まで3時間もあると並んだが、手荷物検査で係官がガムテープが違反だと言い出し、あきれて論争となる。愛ちゃん、初めて英語で「ゆー・うおんと・でぃす?」と怒る。待合室で休むどころか、すぐに飛行機へ入る時刻となっていた。
8月8日、福音館『たくさんのふしぎシリーズ』の「シファカの9つの森」用写真整理。これは2019年10月刊行予定。
8月11日 愛ちゃんのマダガスカルデータを受け取る。
8月17日 愛ちゃんに頼まれ、文化祭のポスターを佐藤純子さんに依頼。孫のためにアイアイ・ファンド人脈を使って申し訳ない、まったく。
9月4日 天智天皇と昭和天皇年表対照完成(関心がある方はお申し出ください。私の生きている間に発表することはないと思うので)
9月17日 鹿児島奨学会同学舎講演用原稿を完成。サルの話ではなく、人との絆ということだったので、難儀した。
9月18日から動物園取材2カ所、天然記念物取材1カ所、29日東京農大での阿部雄介フォトグラファーとのトークショー、10月1日から8日までパラオ取材。このところ、アンドロイドで芥川全集を読んでいる。文字が大きくなり、どこででも読めるのが、いい。
10月13日 目黒の三州会会館での鹿児島奨学会同学舎講演。ここで薬丸自顕流の師範と出会った。
11月13日から沖縄へ。天然記念物取材。増井さん(雑誌『にほんざる』以来の友人:パーキンソン病)の病院見舞い。沖縄こどもの国前園長の田さんと空港で会ったが、空前の台風のために、せっかく1.5メートルにまで伸びたラミーが折れてしまったと残念がっていた。このラミーの種子は、こちらから送ったもの。
11月25日 マダガスカル7月報告会(名曲喫茶『麦』にて)境さんの曾孫まで四世代や山口元大使とお嬢さんも見えて、PIASの会からも3人が参加して25人の盛会となった。最後は飲んべえたちの大宴会になりそうなところ、必死で止める。
12月1日 マダガスカル会計書類の整理。これをやっていかないと、現地で書類をどう整えればよいかが、行き当たりばったりになるので、必死。
『犬と日本人』原稿第一稿102頁を完成。これを打ち出してマダガスカル往復の長い時間に赤を入れる予定。
12月7日〜21日マダガスカル
12月8日 アジャさんにも空港に来てもらい、車の中で会議。まるでビジネスマン。
12月9日 ブルノーさんと会談。いいカメラ持っているなあ、と言うと、「去年あなたがくれた物だ」と。山吉さんの贈呈品である。つづいてジルベールさんも来る。マダガスカルアイアイ・ファンドの問題をいろいろ相談。
ララさんの報告。橋で誘拐事件発生とのこと。100メートルも離れていない。なんでも起こるからなあ、とこちらも平気である。
植林地保護の柵用にする、と隣の家の花キリンを切らせてもらう交渉。快諾された。気のいいフランス人なので、日本茶をお土産にした。薬丸自顕流の稽古を始める。
12月10日 アンタナナリヴ午前5時発アンジアマンギラーナへ12時間の旅。
12月11日 アンツイヒで営林署、市場へ買い物。基地タナンバザーの修理に板、ペンキ、釘などと作業員のために水など、およびアンガディ5本、サッカーボール2個など。
角材は市場でみつかったが、機械が動かないので2メートルにはきれないと。アンジアマンギラーナへ。基地回りで木を切って1000本の杭をつくる。買ってきた板で、窓の修理、そして扉の修理をする。さらに全周の塀の壊れを修理する。もっとも敷地面積1.2ha.
苗場で積めるだけのカシューを積んで、マナサムディへ。作業員たちは植林地造成中。
12月12日 アンツイヒで営林署まわりから現地へ。基地での丸太づくりに精出そうとしたが、切れない。せっかく3本も買ったマシェット(マダガスカル鉈)が、軟鉄なので刃が曲がる。1000本丸太どころか5本ほど切って体温があがりすぎたので、やめた。
マナサムディの植林現地で、現場指揮と現状確認。2キロの外周。2千本の杭なら、1メートルおき。途中のこっているところもあるから、実質、1キロとしても、1メートルおきなら十分。200本の花キリンを5つに切って1000本にする。これを1メートルおきにやはり柵として植える。
12月13日 午前4時半起きだして、午前7時半に村の入り口で皆と出会い、小学校の植林地へ。学校の生徒65人と植樹。みんなにあめ玉を配り、さらにサッカーボール2個を渡す。たいへんな興奮だった。続いて、国道沿いでの並木用植樹。
12月14日 午前6時、基地での作業は順調で、たくさんの木を切り倒して、柵用丸太が山積みになっていた。晴れて、実に気持ちがいい。登ってくる牛車の迫力はすごい。
村人70人が集まっての一気の植林開始。気温は40度にもなって、スマホが機能不全を起こした。夕方から豪雨。すごい雨と雷がひっきりなしで、ホテルの駐車場が流れになっていた。これはうれしかった。植えた苗には最高の贈り物である。
それにしても、基地回りの木を伐って柵の材料にするという計画は大当たりだった。20年間の保全は、役に立った。2キロの柵を作ってあまるほどで、2010年のアカシア植林に手を付ける必要さえなかった。
12月15日 午前5時アンツイヒ出発、12時間かけて雑踏のアンタナナリヴ。
12月17日 ラミー2000本、ブーゲンビリア2000本に加え、オレンジの花のブーゲンビリア200本の苗床を作るぞ。「ええ?そんな」とデジさん。ならもっとやるぞ、と。
12月19日 見積もり書をブルノーさんからもらい、またマダラピッド、コポラティブ・ブラナの見積もりを取った。明日は、苗屋とアンジアマンギラーナ婦人会の見積もりだ。これが相当むつかしい。アジャさんは村長からの感謝状をもらって帰ってきた。なかなか上手に書いている。 大統領選挙の日。
12月20日 アンタナナリヴ出発、21日成田着。
12月25日愛ちゃんからメール。「言うの忘れていたけど、お帰り!!帰りの飛行機ちょっと心配していた―笑 早速ライチ食べたよ!すごく甘くて美味しかった!」
12月29日 マダガスカルを旅立つ日に広がった視野に励まされて、延々と『犬と日本人』の原稿を書いている。しかし、遅遅としている。今日はパーカーの2017年の161品種の犬の系統図を日本語化した。こういうことをやっていれば、それは遅くなるよ。
12月31日 昨日の原稿修正は、コンピューター保存がまずく、新しい原稿に反映されていなかった。ショックだったがしょうがない。(2019年2月末に第一次原稿完成。)
年末年始は頭の中はほぼ犬ばかり。

ファンドメンバー、ご寄附をお寄せくださった皆さまにお送りしております「2018年の日本アイアイ・ファンド活動報告書」の完全版はPDFでご覧いただけます(別窓でPDFファイルが開きます)。


写真:No.10境界標識のそばに立てた植林記念石碑
記念碑の前に25本のラミーを植え、背後に大きなマンゴー、タビビトノキ、そしてバオバブを植えた。近くに2010年のアカシアの林が大きくなっているので、この地域全体を草刈りをしました。
アジャさん曰く、「この地域は誰も入りません。なぜなら、この石碑の形はサカラバ族の墓に似ているからです。」
この石碑は、植林を守るかもしれない。
こうしてみると薄いようですが、これがまた硬い丈夫な石でした。

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