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【No.49 2020年3月】

「日本アイアイ・ファンド(NAF)2019年度の活動報告」

日本アイアイ・ファンド代表
島 泰三

なんだか、おもしろいことになりました!
2019年も2018年に続いておもしろい年になりました。
その筆頭は、マダガスカル生まれの男の子(アイアイ・ファンドメンバーの子どもです)が2020年には大学生になるので、現地に行ってもいい、と本人も両親も了解してくれたこと(「でも、おっちゃん、サラリーほしい」とか)と世界一周途上の36歳の山中青年が現地に登場し、いろいろな手伝いをしてくれた上に、アイアイを撮影したことです。このアイアイに発信器の首輪がついて放置されていたことは、大きな問題です。
第二は、2019年12月メンフクロウが親子でアンタナナリヴ事務所の庭のラミーに泊まるようになったことです。ラミーは20年を経て、まだ花もつけず実もなりませんが、ちゃくちゃくと大きくなっていることをフクロウが保証してくれました。
2015年以来本格化した公益社団法人国土緑化推進機構の「緑の募金公募事業」助成に45年連続で応募し、2015年度の3ヘクタール、2016年度の5ヘクタール、2017年度の5ヘクタール、2018年も5ヘクタール、そして2019年度にも5ヘクタールの植林をしました(23ヘクタール!)。この助成があったおかげで、かなりの規模の植林を事業化し、ついに地元貢献の手がかりをつかみました。2017年の「メトド・マンギラナ(Methode Mangiranaひかる植林法)」(光方式)植林は、2019年の12月に襲った火災からも生き残る力を発揮したことは、特筆すべきことでした。
第三は、この「光植林」のカシューに果実が実り、山火事にも2010年のアカシア植林地が生き残り、隣接する2015年植林地の中では大きくなっていたアカシアだけがかろうじて生き残ったことも、しかし、ラミーは全滅したことも報告しなくてはなりません。
第四は、カシューとパパイヤを2000本植えたことです。これは、保護区と集落周辺の三地域に1ヘクタール以上となり、なんだか果樹園を作っている感じです。半年後に結実するパパイヤに期待が高まっています。この苗の確保は、今年の大きな成果でした。
第五は、苗畑の整備です。現地とアンタナナリヴの両方に苗畑を整備し、常時5,000〜10,000本の苗を生産することを目指しています。今年は2018年に始めた植林地防護のハナキリンより簡単に入手できるブーゲンビリアの苗の育成し、160本を植えましたが、2020年は2000本が目標です。
ラミーやアカシアなどの大型苗の育成も進んでいますが、今年はそれに加えてラフィア、サッチャナヤシ、そして竹の苗育成に一歩踏み出しました。
バオバブが火災にも強いことは、保護区での植樹の励みになっています。2.3キロメートルの植林地の柵に沿って1,000本の並木になるように植樹を始めたバオバブの下に、2 ,000本のブーゲンビリアとハナキリンの華々しい垣根を空想しています。
柵用の丸太は、今年は2010年植林のアカシアから確保できました。調査基地の木々も来年は柵用に利用できますし、基地の保安整備も一歩一歩進めています。
2020年には、また新しい人がアンジアマンギラーナに登場するでしょう。



写真:このアイアイを救おう!(2019年12月7日撮影)
2019年12月にアンジアマンギラーナの森に入った日本人旅行者は、アイアイを見つけした。しかし、そのアイアイまだ2歳にならない子どもで、2018年はじめに研究者がつけたまま放置した発信器が、首をしめつけています。2020年に最初にやるべきことは、このアイアイを救うことです。



2019年度あらたに始まったパパイヤ・カシュー植林地(森林監視員クラニの共同管理地)。
かなたの川辺林のバナナ畑まで広がります。2種合計1000本を植えました。パパイヤは半年後から一年中果実が実ります(2012年12月10日)。



カシューの果実(2019年12月7日)
2016年度の「光植林地」のカシューナッツは、一個だけですが、結実していました。現地指導者のアジャさんはカシュー植林を推進してきたことに「自信ができました」と。



看板を二枚とも掲げた2019年度の植林作業員たち。中央にアンジアマンギラーナ婦人会の面々が陣取っています(2019年12月10日)。写真で分かるように、すでに黒雲が出ていますが、このあと、豪雨となりました。

牛車も人も雨の中(右)
この雨の中、植林は続き、森にラミーの種子を集めに行った森林監視人のティラは、大きな袋にいっぱいの果実を背負って帰ってきました。(人にも牛にも過酷な植林現場から:2019年12月10日)。



2019年活動報告
1月9日、正木さんにマダガスカル映像を渡し、編集をお願いする。
1月14日、本郷三丁目『麦』で「福田喜八郎を偲ぶ会」で、米倉さんの発案でアイアイ・ファンドへの寄付を徴収。大金だった。『犬』原稿まだまだ。
1月20日、文京区後楽園近くの中央大学理工学部キャンパスあたりで旋回しつづけていた中型の鳥(たぶんヒヨドリ)に猛禽(ハヤブサかオオタカ)が突っこみ、たちまち体の下に小型の鳥をつかんで丘の上の木立にとまった。猛禽の襲撃現場を見たのは、1980年代の正月にモズがスズメを襲ったのを見て以来のことだった。
1月24日、「ソロモンの指輪」は失われたのだ、と『犬』原稿。
1月29日、福音館の編集者と『シファカと九つの森』うちあわせ。
1月31日、遠藤さん、3月17日のアイアイ・ファンド総会の会議室予約。
2月1日、『犬』第一次原稿完成。
2月5日、正木さん、マダガスカル報告映像の仮編集、打ち合わせ。
 2月は北海道、青森と天然記念物の取材続き。零下27℃を体感。
2月18日、『犬』原稿、第五章はただの混沌だと分かる。「ひたすら必死である」と。
2月25日、アイアイ・ファンド会計、米倉さんと。
2月28日、アイアイ・ファンド年次報告と寄付者への領収書完成。
3月3日、アイアイ・ファンド年次報告発送。
3月10日、ニューギニアでのサバイバルを読んでいて「猪は簡単に家畜化できることに驚く。また鶏も飼育が簡単らしい。犬の訓練にも驚くしかない。これらは交換される宝なのだ」とあるが、ニワトリの重要性は、この2019年9月にパラオに行くまで分からなかった。
3月12日、『魚食の人類史』に手をつける。
3月15日、遠藤さんに『犬』原稿中の分類分野を見てもらう。改善点多し。午後から会計監査、米倉さん、山吉さん。
3月17日、アイアイ・ファンド総会
3月27日、動物園協会報告会。今年の申請を落としておいて、報告には呼ぶのだから、動物園協会も罪なことをする。
3月28日、『犬』できたかと督促。まだまだ。赤松さんが緑化協会への助成金申請を出す。島は『犬』にかかりきりなので。
4月1日、「講談社の林辺さんからの指摘は実にきびしい。その指摘のひとつひとつに三日はかかるという感じだ」と。
4月10日、「まだ終わらない。毎日午後には疲れ果てて気絶しては起きる、というくり返しである」と。
4月14日、「この感覚は、これまでなかった。今回はマダガスカルのイバトでの視界が明るくなる感覚から始まって、4カ月の苦闘の末に、カギがカギ穴にきちんと入って回り、論理の扉が開いた、という感覚に至るまで実に長い道のりだったが、ようやく満足いくまでできた」と『犬』原稿完成。 4月22日〜26日、高知と愛南町。天然記念物の取材と大型アジ釣り。
5月6日、川口市の見沼公園で、コイの産卵とキジを撮影。『魚食の人類史』の一枚ができた。
5月9日、緑化機構からの疑問点へ回答、赤松さんと。
5月16日、緑化機構への年次報告書作成。赤松さんに送り、点検のうえ送付。
5月25日、プリンター壊れる。年次報告が打ち出せない。新品は、古いOSでは使えず、結局、プリンターの修理を頼む。
5月29日、『魚食の人類史』は、ちょっと収拾つかないほど広がった。「論文の魚名を調べあげるという作業で参った」ともある。科学論文は精密さを誇るのだが、魚種だけでも50もあると、その和名を特定するのが大変だ。
6月3日、福音館北森さんが『9つの森とシファカたち』の絵の最終版を持ってきた。すばらしいでき!さすがに画家だと。後書きになる原稿を書く。題は「夢」。「マダガスカルはボクの夢なんだ」と私に言ったのは、ピエール・バルーだった。
「この絵本を見た皆さんは『すごい!こんな動物たちにあってみたい、こんなところに行ってみたい』と感じてくれると信じています。だってすてきな絵ですからね。・・・私たちが20年かけても守り育ててきた森も、その森の生き物たちもみんなで皆さんがやってくるのを待っています。ぜひ、来てくださいね」
6月5日、福井県大野市のイトヨ(トゲ魚)の取材で、川の中に入って水草を食べている野生のサルの群れに出会う。ひさしぶりのニホンザルだった。(え?写真みたいですか?)
6月14日、千葉県天津小湊の鯛ノ浦の取材。ここもニホンザルの調査の地域だった。阿部さんのゴープロを初めて使った。「これは使える」と思う。海中で沸き立つような魚の姿がよく見える。マダガスカルで使うことを決意。
6月21日、「(『犬』の文献の)不備を見つけて、そうとう汗をかいた」と。
6月22日、「とてもまだ中世の食事までいかない。リンドバークの論文の翻訳にずいぶんかかっている。」この論文は、現代人の食物の問題点を非常に広い視野から検討しているもので、ずいぶん気に掛かっていたものだった。
6月28日、『魚食の人類史』原稿完成。アウトルックが壊れた。これで、「アイアイ・ファンドの皆さまへ」という一括メールができなくなった。しかも、直らない。
6月30日、寄付者名簿と送付先リストの作成。緑化機構から助成が決まったとの連絡。
7月1日、センリョウとマンリョウはどうちがうか、と牧野植物図鑑で調べる。
7月5日、ホモ・エレクツスの捕獲動物解体現場の遺跡論文を調べる。ワニが多い!ワニ!!腰痛続く。
7月10日、『ヒト、犬に会う 言葉の論理の始原へ』(講談社選書メチエ)刊行。NHK新書の山北さんが見えて、『魚食の人類史』は来春刊行予定とのこと。
7月13日、テニスコートで「裁判では直接の目撃証言のほかは、書かれたことでも、聞いた話でもすべて虚構として同等に扱う」と元裁判官山下さんの話。「ここ一週間で読んだ論文は何本か、数えてみるつもりだ。まさか百は超していないだろうが」(7月15日、論文、今日かぞえたら100編だった)
7月14日、清水美弥子さんのダンス発表会(都筑区のダンス団体合同)。日本アイアイ・ファンドも広告を出し、支援していることに。
7月23日、ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』「この本には驚かされた。あまりに脳天気なのだ。」
8月2日、室内気温40℃!「(風邪をひいて)寝ている間、『ホモ・デウス』と『ホモ・サピエンス全史』を通読。内容がこれほど希薄なものを400万部とか売るのは、サギそのものである。」
8月11日、「福澤『文明論之概略』を読み終え、ある種の感慨。」
8月26日、北海道の天然記念物取材は惨敗だった。和琴半島にミンミンゼミもエゾ蝉もいなかった。
8月28日、大阪での下関西高関西支部25周年記念講演原稿と募金箱の製作。
8月29日、六本木ヒルズの33階にあるJウェーブの録音で小黒さんと話
「『犬』本を読んでいるとずいぶん研究者が出てきますが、何人くらいですか?100人?」と聞くから、「犬本の前の『ヒトー異端のサル』で文献を集めて3776に達したが、それから又少々殖えていますね」と答える。文献収集システムのおかげである。
9月1日、大阪にて下関西高「旭陵同窓会関西支部」にて講演会「霊長類学的世界史観察、あるいはアイアイから見た日本人の未来」
9月13日金曜日仏滅 島 泰三 出版記念会 於:講談社26階
45名の方々が参加して、楽しい集まりになった。なにより26階からの東京北半分の夜景が美しい。詳細は、ホームページなどを見てください。
9月20日、新しい4テラHDへ映像データのとりこみなど、2台のコンピューターの徹底的な整理をはじめる。取りこみだけで18時間かかる。マダガスカルデータが年々増えるのと、天然記念物取材は例のない映像ができるので、永久保存のつもりである。誰が使うか、それは知らないが。
9月23日、正木さん、出版記念会の映像編集。
西高の先輩で、大阪講演会で会った元京大教授の小林さんお勧めの『白村江』鈴木治(学生社)を読み、とりまとめをする。天智・天武時代は、まことに面白い。
9月27日、NHK出版の山北さんと。『魚食の人類史』の書き直しが決まる。
10月1日、半年以上かけている書庫の整理は、ようやく終盤。本の位置、論文の位置についての古い記憶が邪魔をする。ロシア映画『タンクソルジャー』を見ていて、主人公二人が長い木の枝を持って湿地帯を抜けようとしている風景を、妻に説明する。
「ジャマイカには水中林という沼の中に林ができていて、そこを通過しようとして、前を歩いていたガイドが突然水中に消えるんだ。根の上を歩くんだが、根が広がっていない所があちこちにあって、そこに落ちこむ。マダガスカルでも流砂があって、川は浅いように見えても緩い砂の底に足をつっこむとそのまま沈んでしまう。だから、湿地を渡る時は長い棒で前方をさぐりながら歩くんだ」、「そういうことも、本で書いて!」
うーん。
10月2日、池澤夏樹さんは毎日新聞での『犬』本の書評に続いて、朝日新聞の文芸欄でも「はじまりとおわりと ヒトとイヌ幻想力ゆえに落ちゆく人間」で、「まずは必読の本だ」と書いてくれた。姉は朝日新聞を購読しているので、これを知って「なんでこんなによく書いてくれるわけ、知りあい?それとも、なんかあげた?」とまあ、83歳らしい反応だった。
10月5日、『魚食の人類史』のためにヘイエルダールの『コンティキ号漂流記』を読みなおす。いつ読んでも、この本は面白い。漂流にあこがれた19歳の頃を思い出した。魚食が舟や筏とむすびつくと、これは面白い。
10月13日、前の週の沖縄取材は4日間で、ケナガネズミとリュウキュウリクガメということさら野生の撮影が難しいものばかりだった。しかし、宿舎前の駐車場にハブが出て、同行していた沖縄子どもの国の職員がこれをとりおさえ、山中に放してやるという大騒動があり、「ハブの恩返し」があった。子どもの国の職員が「これ以上、幸運に会うとボクは死ぬかも」と言ったほどで、前回あれほど難しかったヤンバルクイナなどは「あ、なんだクイナだ」と見捨てて車を進めるほどだった。いや、天然記念物取材はきびしいが、生き物屋にとっては、なんだかとんでもない幸運の雲に乗っている感じである。
10月15日、アウトルックの問題でマイクロソフトに連絡するが、直らない。赤松さん、小林さんに連絡して相談。このコンピューターが壊れたら、まったくあたらしいコンピューターかタブレットに変えるつもりだが、車も自転車もなにもかも壊れるまで使う、というのを人生の方針とする。そっちが壊れるか、こっちが壊れるか、という時間の競争でもあり。
10月17日、講談社から大きな封筒が届いたが、元青森大学学長だった栗原堅三からの手紙が入っていた。「甘い、塩辛い、酸っぱい、苦い」の四味(このほかの渋い、辛子辛いは痛覚とのこと)のほか「うま味」があることを世界に認めさせた味覚の研究者である。「イヌの味覚は、ネズミよりもはるかに人間の味覚に近いが、なぜだろうと思ってきたが、それが氷解した」という手紙だった。安田講堂も読んだという丁寧さである。論文も2本送ってきてくださった。
10月23日、書庫の整理を進めて、八切の名作『信長殺し、光秀ではない』(講談社)をみつけた。こういう自分の本探しに手間がかかることは、これっきりにしたい。
10月24日、青山で読書会。得丸さんの友人たちが1980年代から続けているという会だった。
10月29日、遠藤さんから「動物と人の文化誌学会」入会を奨められ、入会。学会なんて何十年ぶりだろう?
11月1日、得丸さんと八重洲ブックセンター裏のインドカレーで昼食。
11月7日、『魚食の人類史』原稿を完成。パパイヤ苗1000本の収集をマダガスカルに指示。
11月9日、『ディカバリー・チャンネル』でのエド・スタフォードによる『サバイバル十則』にはまった。なにしろ、無人島生活は小学生の頃からの憧れであり、漂流は十代後半からの夢だった。「人生そのものが漂流じゃないか」と言わないでほしい。そして、「今さらサバイバルかよ」とも言わないでほしい。とにかく、その十則を以下に。
1 慎重に計画を立てよ Stop and make a plan 原文「まず立ち止まれ、それから計画を立てるのだ」。
最初に五分間、ジッと座り込んで考える時間を持てと。
「サバイバルに必要なのは、水、基地、火、食糧である」しかし、それには、場所によって優先事項がある。
2 地元の人に倣え Think like a local
3 決して警戒を怠るな Never drop your guard
4 失敗から学べ(Learn from your mistakes)
5 周りの物を活用せよ Use what’s around you
6 視野を広げよ Expand your horizons
7 休憩せよ Take breaks
8 賢く働け Work smart not hard
9 快適な暮らしを目指せ Make yourself at home
10 感謝の気持ちを持てHave an attitude of gratitude

「うまく説明できませんが、私は信じています。“敬意があれば物事は好転する”と。この信念はどこででも役立ちました。」
実は、マダガスカルでの生活では、この十則が実際に役に立つのです。
11月16日、マダガスカルからパパイヤの苗の手付け金を払って確保したとの連絡あり。
マダガスカルに行く前に、一仕事が終わったのは、これが初めてである。
11月18日、ゴープロをヨドバシで見る。
11月20日、赤松さんと小林さんあてにメルアドの整理。アウトルックが壊れているので、この一覧を読みこんで、一斉メールにしてもらうことになった。
ゴープロは高いので、アクションカメラなる小型カメラを購入。マダガスカル用である。使い道はこれから考える。
11月25日〜27日、鹿児島出水取材。一万五千羽のツルの越冬地は圧倒的だった。帰り道を迂回して、水俣の資料館に行く。出水と水俣はおなじ八代海の沿岸である。
かつて「魚湧く海」と呼ばれるほどの豊かの海は、永久に戻ってこない。少なくともこのホモ・サピエンスが生きている限りは。その絶望の海なのだ。
11月29日〜12月20日、マダガスカル往復。アジスアベバでの乗り継ぎは、ラウンジで休もうとしたところ、「あと5分で搭乗開始です」と。セキュリティーチェックに時間がかかりすぎ。何かトラブルがないかと探し回っている空港だなあ。
12月4日、アンタナナリヴ事務所での苗畑は、昼間に水が出ないので、午前5時から仕事をしているとのこと。世界一周中の山中さん、バオバブ並木観光から戻り、合流。ブルノーさん、現地へ出発。アジャさんは12月1日に出発。夕刻、メンフクロウが飛び立つ。
12月5日、午前6時出発。アンジアマンギラーナ午後7時着。
12月15日、ようやく日誌を書く。フィールド・ノートは毎日つけていたが、日誌はとうてい書く気力が起こらなかった。アンジアマンギラーナでは、いつも午前4時半には起きて、その日の仕事をメモし、現地を回って、夕方戻って節子に電話すると、それで一日が終わった。その日、その日の出来事は、写真と映像を見て再構成するしかない。アンタナナリヴに帰ってからも今日まで雑用に追われて、何かをまとめる気持ちにもならなかった。
この疲れ果てたひとり暮らしを支えてくれたのは、むろんララ・デジコンビではあるけれど、庭のメンフクロウたちでもあった。午後6時半には確実に姿を見せて、飛びだしていく姿に安堵した。
午前5時には確実に起きて、紅茶を入れて食事にするが、もうバターを買いに行く気にもなれない。紅茶は入れっぱなしで、夕方にはお湯だけになり、パンは堅くなってお湯につけて食べるくらいである。かつて、マダガスカル南西部の奇観イシャルの岩場の中央に白いシファカといっしょに真っ黒いシファカがいると聞いて行った遠征の最後と同じことだ。かつては食べ物がまったくなくなって、お湯とパンだけだったが、今回は食べる気も起こらないでパンとお湯だけ。
気分転換にと、真昼から暖炉に火をつけた。マダガスカルに来る前には、炎の前であれこれ沈思黙考の時を持とうなどと考えていたが、実際に炎があがると、そのあまりの猛烈さに暴力を感じ、炎がおさまると、足すべき木を探して火の維持に気を奪われ、物を考えるどころではない。熱帯ではどうもあれこれ、ちぐはぐなのだ。
火を見ていると電話。アジャからで、アンタナナリヴに帰りついたので、明日午前9時に報告に来ると言う。「日曜日も仕事かよ」とややお疲れ。 「オレンジジュースの残り、朝から残った紅茶とケーキ超甘いやつの残りとで、やってくるハエどもを皆殺しにしながら昼食」と、お疲れで暴力的になったご様子。
「会計処理は明日にまわして、風呂に入って寝る。夜降る雨がうれしい」と気分転換。
雨季がはじまり、毎夕猛烈な雨が降る。デジによれば、局地的には道路が冠水して通れないらしい。
12月16日、アジャさんの報告ではマナサムディへ仕事で出た間に、基地に窓をこじ開けて泥棒が入り、アジャのリュックが開けられ、衣類全部と懐中電灯が2個が盗まれていたという。彼が大金を持っているのを知っているからだ、と。今後は基地で寝るときは、誰かひとり付き添ってもらうという。
私はやはり、この国ではセキュリティー第一に考え、壊そうとしても壊せない、という基地を作るべきだと思う。それが基地のまわりの塀であり、今回の鉄の扉だが、いよいよ窓も鉄枠で作ることにしよう。次回の仕事だな。
開高健、1976、『定本 私の釣魚大全』(文芸春秋)。素手でコイをつかむ話など。
アントニー・ビーヴァー、『スターリングラード』(朝日文庫)。犬についての情報もあるが、ロシア兵が同時に6基の迫撃砲を発射させる装置を開発した、という記事に注目。日本の問題は、知識人が自宅に工具が揃った作業室を持っていないことだ、と私は思う。
12月21日、『アステイオン』(サントリー財団)の連載「世界史の変容・序説 『まなざし』の起源」で三浦雅士さんが私の本の内容を紹介。
「『ヒト、犬に会う』は好著と言うべきである。・・・島はしかも、最終的にはほとんど問答無用の勢いで、人類が犬に出会って友となったのは東南アジア大陸部においてであったと断言している。南下する犬と北上する人類がそこで出会ったというのだ。ほとんど詩人の直観である。」
この1970年代に雑誌『ユリイカ』編集長だった人の評は、何かとんでもない幸運にでも出会ったような、とまどいと爆発する喜びを感じた。
12月25日、会計担当米倉さんとクリスマス会。マダガスカルの映像や写真の整理は、年を越した。


写真:2019年12月には、焼かれてしまったマナサムディ山の斜面と2015、2016年度の植林地にも木を植えました。15ヘクタールもの焼け野原を緑の森に変える、少々気の遠くなる作業でした。
しかし、負けてはいられません。



写真の手前右のコンクリートが境界標識No.10。左が2018年植林看板。背景は2010年植樹のアカシア。上は2018年12月、下は同じ場所の2019年12月の状態。


保護区南端の林は繰りかえして火災にさらされてきまし。しかし、このアカシアの植林地のように大きくなった木々は、乾燥した草に火がついても生き残ることができます。防火帯を作る作業を年に2回行うことができれば、それが実現できるのですが。

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